『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[019]鬼の鉄窯を探す
第1章 西の海を渡る
第6節 岩木山の鬼
[019] ■3話 鬼の鉄窯を探す
次の朝。十三湊を出たカケルとタケ兄は帆を掛けた小舟に乗って岩木山の方角に向かった。タケ兄が櫓を漕ぎ、舟の中ほどにはナオトがいる。
数多い仲間のうちでカケルが最も頼りにしている舟子が、三つ年上のタケ兄だった。カケルが西の海を渡るとき、双胴の舟の上にはいつもタケ兄がいた。
海の上では何が起きるかわからない。
「自分に何かあったらタケ兄を頼れ」
と、カケルは舟子たちに伝えてあった。
「いま向かっているのは、岩木山の東の麓の、昔、黒金の窯があったと言い伝えられているところだ」
カケルがどちらにともなく言った。
――クロガネ? 何のことだろう……。
それを受けて、タケ兄が続ける。
「ナオト、吾れたちはこれから鬼の棲み処を探すのだ」
「オニ、ですか……?」
「はははっ、そうだ。鬼だ。吾れはこの近くで生まれ育った。あの山には、昔、鬼が住んでいた」
と、タケ兄は行く手に見えている岩木山を指差して言った。
「岩木の山奥には、どこか他所の土地から渡ってきた安久利という名の鬼が棲んでいて、恐ろしく切れる金の刀を作っていたそうだ。
春になると、奥に広がる白上の山から里まで下りてきては、子だくさんの家から幼な子を攫って山に戻っていく。そのときに、黒い金の道具を何かしら置いていったそうだ。里人は恐れもし、陰では喜びもしたという。その黒金は、海の物ならば十の俵と換えられたからだ。
子が多い家はやりくりが苦しい。子を失うのはつらかろうが、助かりもしたのだろう。『もう、口にするものは水しかない』と、一家で首を吊るよりはましだからな……」
それには応えず、カケルがナオトの方を向いて言った。
「その金の刀というのはシカを捌くときに使う石の刃のようなものだ。しかし、その素が石ではなく金属で、刃はもっと長かったと聞く。フヨの入り江にいる吾れの仲間のハヤテは、それは黒鉄といって、フヨの国にある鉄のことではないかと考えた」
「黒金は、フヨのテツ……?」
「その通りだ。お前にやった小刀はフヨの鉄でできている。昨晩話しただろう?」
「ああ、そうか。そのテツですか。大陸渡りの……」
南に聳える岩木山を目指して、丈の高い草を掻き分けながら小川沿いに進んだ。岩木山から北に向かっては善知鳥と比べて雪が多い。この時季、さすがに雪は残っていないが、日陰になった草叢の根元は解けた雪のためか湿っていて、足元から冷える。
もう引き返そうかと諦めかけたとき、人の手が入ったかのような開けたところに出た。灰色に汚れた地面の脇を、音を立てて小川が流れている。
岸辺に生える水草の根元が黒ずんで見える。川水に踏み入ったタケ兄が一掴み引き抜き、こちらに差し出しながら言った。
「根に絡まっているこの黒いものは黒砂だ……」
「ナオト、吾れたちがフヨの鉄を初めてヒダカに持ち帰ってからもう三年になる。十三湊で鉄の道具を自ら使ってもいる。だから吾れは、その安久利の言い伝えを信じたのだ。
いろいろと聞いた話を頭の中で並べてみて、吾れは、きっとこのヒダカの地でも鉄を作っていたに違いないと考えるようになった。それが、鬼の黒金だ。
鉄があるのとないのとではあまりにも違う。だから鉄は、フヨにあるのならば、きっとここにもあった。吾れはそう思う。それは大昔のことで、作っていたのはヒダカ人ではないかもしれない。鬼は鬼、人ではないのだろう。しかし、鉄を作る者は確かにここにいた。
黒金作りの窯と技はいまでは失われてしまったのかもしれない。ヒダカのどこを探してもいまはない。だが、それでいい。鉄になる素がこの地にもあるとわかればそれでいいのだ」
「……」
ナオトが黙ったままなのを見て、タケ兄が代わりに訊いた。
「カケル、それがわかったらどうするつもりだ?」
「……。この根に付いた黒砂はフヨ人が砂鉄と呼ぶものかもしれない。砂鉄であれ何であれ、鉄の素がここにもあるとわかったら、いつか、このヒダカの地で鉄を作る。それが吾れの夢だ。ここ当分はな。そのために、その鉄の素がどこにどれだけあるかを知りたい。
いい木がなければ舟は作れない。鉄でも同じことだ。素がなければ鉄は作れないと思う。だから、鉄の素とは何で、どこに行けばどれだけ見つかるのかを吾れは知りたい」
――そうか、カケルは海を越えて鉄を運んで来るだけではなくて、それをこの地で作ろうというのだ……。しかし、黒金という言葉も、昔、それを作っていたという鬼の話も、吾れはいま初めて聞いた。
心の内でそう思い、ナオトはただ黙って、揺れる舟から見え隠れしている岩木山のてっぺんを見つめていた。
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