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神田川逍遥・老人の秘密9 井の頭池の幽霊

九 井の頭公園の幽霊
 井の頭池をゆっくりと散策し、吉祥寺にはなぜ吉祥寺というお寺がないのかも分かり、地下水をポンプアップしている神田川の源流も確かめた。一踏ん張りして神田川の川淵を久我山あたりまで歩こうと考えていた。久我山は新婚当初2年ほど住んでいた所でもある。
 井の頭線・井の頭公園駅の近所でコーヒーショップに入ってひと休み。気合を入れ直そうとした。コーヒーを飲みながらネットを探ってみると、井の頭公園には夜中に首なし幽霊が出るという記事が載っていた。都市伝説として大まじめに書かれている。年をとると、幽霊への関心はなくなる。「年五十にして、四十九の非有り」という言葉が中国にあるそうだが、77年も生きて来たから、少なくとも76の非(過ち)は有ったことになる。日々の汚れ切った現実を生きてきて、幽霊への新鮮な恐怖も真摯な憧れも無くなっている。仮にいるとしても幽霊はスケスケの薄着の場合が多いから出没するのは夏のことで、しかも夜更けでないと出てこないはず。着膨れした幽霊なんぞはイメージが崩れる。ましてや新型コロナが猛威を奮っている最中では幽霊も巣篭もりの自粛体制だろう。公園に戻って出没するという場所を確かめる気持ちにはなれない。しかし、何で井の頭公園に幽霊話なのだろうか?

 記事は大抵こんな下りになっている。
「若いカップルが夜半、公園内の暗い小径を腕を組んで歩いていると、前方に若い女性が屈み込んで、俯いたままで動かないでいる。夜も更けているし、女性が一人で屈んでいるのを怪しんだ2人が少し離れたところか声をかけた・・・」
『どうかしましたか?大丈夫ですか?』と。
「若い2人に声かけられた女性が立ち上がった・・・。薄暗がりではあっても公園の電灯に照らされて、女性の姿を見ることができたが、後ろを向いたままうなだれ、俯いている・・・。カップルがさらに声をかけようとして良くみると、それは後ろ姿ではなく、前を向いている姿で、首から上がなかったのだった。若いカップルは叫び声をあげて、一目散に吉祥寺の街の方へ駆け出した」
 どこにでも有りそうな、ショート・ショートストーリーだが、変に説得力がある。それには訳があった。

 平成6年(1994年)4月23日(土曜日)、夕刊各紙は井の頭公園のゴミ集積場に、切り取られた人の足が発見されたことを大きく報じていた。朝日新聞の報道によると、
「23日午前10時55分ごろ、東京都三鷹市井の頭4丁目、都立井の頭公園のごみ集積所に、ポリ袋に入った人間の足首のようなものが捨てられていると警視庁、三鷹署に届けがあった。調べでは、捨てられていたのは左足首より下の部分で同公園の音楽堂の屋外ステージわきのごみ集積所から見つかった。ポリ袋を発見した女性によると、足首は、4枚重ねたスーパーのポリ袋の中に入っていた。その袋以外にも、同じような袋が三つ置かれていたといい・・・」
 航空写真付き、社会面6段の記事になっている。
〈 航空写真は後ほど〉
 
翌日(4月24日)の朝日新聞の報道では、三鷹署が公園内を捜索したところバラバラに切り刻まれた人の胴体の一部、手の部分などが入ったポリ袋が十三個、切り刻まれた体の部分は27個発見されたとされている。指の指紋は削り取られ、掌紋には傷がつけられていたそうだが、掌紋の一部とDNAの鑑定で妻から失踪届の出ていたKMさんと判明した。しかし、頭と胴体の主な部分は発見されなかった。

 首なしバラバラ殺人事件である。
 井の頭公園に首なしの幽霊が出るという話は、ここに接点があるのだろうか?
 だが、矛盾している部分がある。幽霊はどういう訳か若い女性が多い。ところが、後で分かった事だが、バラバラ事件の被害者のKMさん(事件当日35歳)は男性だった。とすると、首なし幽霊の話とバラバラ事件とは直接的には関係なく、幽霊の話は単なる作り話で、互いの接点はないと言えそうだ。しかし、バラバラにされた遺体の部分が井の頭公園内に捨てられていたのは間違いのない事実である。しかも、後で述べる通り、この事件は未解決のまま平成21年(2009年)に公訴時効となり、現在に至るまで犯人は分かっていない。首も遂に見つからなかった。別冊「宝島」によると、この事件は下山事件などと同じく『昭和・平成未解決事件100』選に含まれている。
 朝日新聞縮刷版を図書館で借り出した川旅老人はバラバラ事件の3日後の新聞報道を見て驚いた。中華航空140便が名古屋の空港で墜落事故を起こし、乗員・乗客264人が死亡した記事が一面のトップに大きく載っていた。それ以来、バラバラ事件の報道はプッツリとなくなっている。さらに新聞の縮刷版の先をを繰っていた川旅老人はオウム真理教にまつわる一連の奇怪な事件報道に接した。特にバラバラ事件から2ヶ月後の6月27日、松本サリン事件が起きている。8人が死亡、数百人が負傷している大きな事件で、マスコミは第一通報者のKさん(44歳)を犯人と見なした記事を次々に流していた。この事件はテレビで連日報道されていたし、Kさんのことは川旅老人の記憶にも残っている。
 翌1995年3月20日、死者14人負傷者6300人を出した地下鉄サリン事件が起き、松本サリン事件はオウム真理教が起こした一連の事件であったと判明する。Kさんは正真正銘、事件の被害者であった。Kさんの妻のS子さんはサリンの被害を受け、後遺症によって意識が戻らないまま2008年6月に亡くなっている。

 井の頭公園のバラバラ殺人事件は不可解で猟奇的な大事件であったにもかかわらず、中華航空の墜落事件、オウム真理教事件と続いた大きな事件の影に隠れて人々の関心を薄れさせたと解説している記事が多い。別冊宝島の記事も「(被害者の特定がされ)・・・捜査の進展に期待が集まったが、その直後からオウム真理教による未曾有のテロ事件が次々と発生。警視庁警察官の多くがオウム捜査へ投入されるなか、警視庁捜査1課はこのバラバラ事件を置き去りにしてしまった」と結んでいる。
 新潮45(1999年10月号 新潮社)はノンフィクション・ライターの上條昌史氏の記事を載せているが、バラバラ殺人でありながら、怨恨に結びつくような話がまったく出てこなかったこと、殺害後に指紋と掌紋を削り取ったり破損させていて、体の血を全部抜き取っていること、切断した骨は通常のバラバラ事件のように関節で切断せず、機械的に20数センチに切り揃えられていたこと、しかも腕や足を意図的に削って太さが揃えられていたことなどの異常性をレポートしている。文字通り、猟奇的な事件で、マスコミが飛びつくセンセーショナルな事件だ。
 「捜査本部は当初、その猟奇的な手口から怨恨による殺人と考え、被害者KMさんの妻に徹底的な事情聴取をし、かなり疑って取り調べた」と上條氏は報告している。一つ間違えば、KMさんの奥さんも松本サリン事件のKさんのような境遇に置かれていた可能性もゼロではない。実際KMさんの妻は上條昌史ライターの取材に答えて「事件当時は、自分が疑われていることにも気がつきませんでした。・・・事情聴取ではいろいろなことを訊かれましたが、捜査の手順として身近な人間から疑っていくという話を聞いて、納得していた部分もあります」と述べている。警察は捜査の基本方針をひた隠しにして被害者の妻を取り調べていたことになる。
 コロナで入館制限が続いている国会図書館に通い、「殺人現場を歩く」(蜂巣 敦著 2003年 ミリオン出版)を借り出して読んでみた。著者はあとがきで「(このレポートは)・・・事件から月日が経ったあとに、現場に到着し、そこにある風景を『個の体験』として捉えることだった。実際、それ以上のことはできないのである」と言っているが、井の頭公園バラバラ殺人事件の内容に強いて触れている部分もある。それは司法解剖を担当した杏林大学法医学教室の佐藤喜宣教授の言葉を引用している部分だ。
〈文字通り血は一滴も残っていませんでした。おそらく絞り上げるようにして抜いたと思うのですが、組織の深いところにある血液は、ただ搾るだけでは簡単に抜けないものです。逆にいうと、血液を一滴も残さず搾り出すには、ある程度のテクニックが必要とされる。だからこの作業をした人は、少なくとも血管の走行を熟知している人、深いところに溜まっている血液をどう出すか知っている人だと思います。〉
 これは前述の上条昌史氏のインタビューに佐藤教授が答えたものを孫引きしている部分だが、少なくとも事件の中で重要な解剖所見であることを両名が認めているということを示している。佐藤教授の所見は警察側にも伝えられていたであろうし、手足の切断に何らかの機械が使われたことも容易に想像がついただろう。単なる「怨恨」を超えて事件を隠蔽するための「妄執と極度のこだわり」がそこには見えていたであろう。捜査のプロである警察には犯人の突き抜けた異常性が見て取れていたはずだ。集団であった可能性や骨を均等に断裁する設備を持った、機動力のある犯人像が浮かんでくる。
 しかし、警察は怨恨の線を捜査の基本に置いたためなのか、被害者の妻や友人、知人を徹底して事情聴取している。中華航空の墜落事故や直後のオウム事件の連続があって、捜査に人手をかけられなかった実情は誰もが理解できるだろうが、捜査の基本方針は一体どうだったのか。犯行の異常性、手口の特殊性など、手がかりとなるものは少なくなかったように思えるが、事件は犯人に関する何の手がかりも得ることなく、頭部や刻まれた遺体の他の部分の発見もないまま、うやむやに終わり、2009年には公訴時効が成立。今や迷宮入りした事件として残っているだけである。1995年、被害者KMさんの父親S蔵さんが「心事の軌跡」を自費出版したと上條氏のレポートに載っていて一読したかったが国会図書館にも古書店にもなく、思いの丈を知ることができず残念だった。

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