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今日も我が家は「私とワグナー・ナンドール氏 1」ハンガリアン・コープス

皆様「おはこんばんちは」
鈴丸 カエル🐸です。

ハァ〜😮‍💨 もう10月🎃ですね。

そして、またしても紛争が始まりました。

しばらく考えておりました。

私の中で「note」を綴って行く上である程度は順番、流れを組み立てているのですが、これは今なのかも知れないと思い書いていこうと思います。

それは、ある年の秋の事でした。

母を亡くし、やっとの事で父の施設が決まった時の頃だったと思います。

私は母の葬儀から泣くに泣けなかった経緯から常に喉の奥に泣いた後のヒクヒクする痙攣の様な状態が続いておりました。
深呼吸するとクククッと迫り上がる感覚が何時も日常にある感覚があるのでした。
「いつの日か治るだろう。」と思っておりました。

やっと介護の日々から解放されて少し自分を解き放ってあげようとある所で見かけたパンフレットに「ワグナー・ナンドール秋季展」とありました。

見ると明日明後日が最終日とありました。

場所は益子とあり秋の陶器市が済んだ後でした。

私は1人秋晴れの澄んだ空の元、益子へ向かったのです。



また、戦争が始まってしまった。

この紛争は今に始まった訳では無く繰り返し争われて来た歴史がある。

中東のイスラエル(アラブ人とイスラエル人)の問題はどうしても理解しょうとしても難解である。

いつの頃だったのだろうか?中学生1年ぐらい・・・

遥か昔に学校全体でわざわざ映画館に出向き「アラビアのロレンス」を観に行かされた。

その壮大な砂漠の映像が印象的でピーター・オトゥールがカッコイイと思ったぐらいで幼い私がとてもストーリーや時代背景を理解する事は出来なかった。

ただユダヤ人とアラブ人の争いにさまざまな国が口を出して聖地エルサレムでの小競り合いが続いているのは理解できる

しかも、何故?ユダヤ人が迫害を受けなければならないのか?

住む国を奪われてしまったのか、池上彰氏の解説を聞いてもいまひとつ納得できないのである。

私は以前にトルコに旅行に行った事があるシリア内戦が始まっていたが、それほどに感じずにツアーを楽しむ事が出来た。
その時の国の印象が親日国という事もあり、果てしなく広大で宗教も昔からモスクの側に教会がある様な寛大な国だと感じて動物にも優しい遺跡にワンコやニャンコがたくさん居て感動したのでした。

この国は地球は人だけのものじゃない!と優しく共存できていて日本とは比べられないと思ったぐらいでした。

しかし、難しい中東地域問題を抱えているのも事実なのでした。

何故に住む地を追われて難民ならざるおえないのだろうか?

日本は島国であるからまだ良かったと言えるのかも知れない。


爽やかな秋晴れの日でした。

数日前まで陶器市に人が溢れていたと思えないくらいに静かでした。


そして私はこの「ワグナー・ナンドール秋季展」を目にして衝撃で立っていられずにくづれ堕ちる経験をするのでした。


まず、何時ものメインの通りから細い路地を上がるとおそらく行き止まりのあたりにその美術館は設立されていた。

この行き止まりの細い路地も悲しい経緯がある事を後々に知る事になるのです。

駐車場が行き止まりあたりの広場にあった。
車を停めると来た道を降りるように歩いていく小さな道案内があった。(受付はあちら)と、すると何か分からなかったが何体かの銅像の様なものが見え、風に吹かれ竹林が揺れていた。

あちこちに不思議な建物があり私は気になった景色を写真に収めておりました。

すると「今日、初めてのお客様、受付はこちらです!まずは受付を済ませてから撮影なさってはいかがでしょうか?」と弊の中から声を掛けられたのでした。

ビックリして中に入るとキリッとした女性が笑顔で迎えてくれたのです。

受付を済ませるともう一人の女性がこちらへと案内をしてくれて「まずはビデオを見て頂きます。」と「こちらはワグナー氏とその妻である千代夫人と共に建てましたアトリエでございます。」とドアを開けると下に降りる階段があり、想像とは異なる空間が広がっているのでした。

もちろん造形を作る為には広さは必要だが既にその空間と空気感に呑まれているように立ち止まり動けなくなっていた。

不意に違和感を感じて階段左側に目をやると「キリスト像?」

やっと階段を下に降りる為に手すりに手をやると、私と同世代と思われる女性がビデオの準備と「寒いですね、ストーブつけますね。」と先に行った。


階下に降り、先程の違和感を感じたキリスト像の様な彫刻を下から見上げた時でした。

正に私は崩れるように膝をついて泣き始めてしまいました。

自分でも何故なのかわからず、ただ恥ずかしい、でもどうする事も出来ないのでした。

止めようとしても嗚咽が込み上げて今まで泣くに泣けない思いが溢れでてくるかのようでした。

あられのない姿を晒して、側にいる彼女に「すみません、すみません。」と言うのが精一杯なのでした。

すると「大丈夫ですよ。」と静かに答えて「そう、なる方、他にもいらっしゃいます。」と言ってくれた。

彼女もうっすら涙を浮かべている。

私が落ち着くのを待ってストーブの側に案内してくれビデオを付けると

「多分、この後に他のお客様は居ないのでゆっくりご覧になり外にに出ると案内があるのでその通りに巡っていただければいいです。外にある彫刻は撮影OKですのでお好きに撮っていただいて大丈夫です。では、ごゆっくり」と外へ出て行きました。

私はもう恥ずかしくてどうしていいのか分からず、流れているビデオを上の空に視線を合わせていた。

先程の女性が「ワグナー氏は解剖学を学んでいたのでこの彫刻の筋肉や骨は原寸にすると正確だと言われております。」と「こちらはハンガリアン・コープスといい防空壕の中で目の前で亡くなった友人であると聞いております。」と言った。

どのくらいそこに居たのだろう?

ビデオが繰り返されていた。

私は自分を落ち着かせるのに精一杯なのでした。

多くの「何故?どうして?」が押し寄せてくるのでした。

そして、先程の自分の姿を恥じて何処かに潜り込みたい気持ちなのでした。

「ハンガリアン・コープス」
     直訳すると(ハンガリーの遺骨)

おそらく3mぐらいはあるだろう大作です。

ハンガリーにあるモニュメント
     「ハンガリアン・コープス」は別名 「ハンガリーの希望」と言う。

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