日記20/ 経験値としての「贅沢」
先日、生活水準を下げることについての話を日記に書きました。
また、番外4,として、良い食器を用いることで、安い食材でも美味しく感じることができる内容の話を述べました。
これらを総じて考えると、一度「良い食事、あるいは飲み物、お酒」を経験したことも生活水準を下げるために役立った経験だったと思っています。
生活に余裕があった時に、わりと良い食事をし、良い食材で自炊し、良い酒を呑む機会がありました。
これらの機会は、今の生活水準を落とした段階から見ると、決して「浪費」ではなく、良いものに触れた「経験値」だったと思えるのです。
一例として、焼酎のお湯割りをあげましょう。
生活水準を落としても、そこそこ良いぐい飲みが残りました。
2000円台の備前焼のぐい飲みです。
そこそこ良い酒器です。
それに、生活水準が高かった頃は、瓶に詰まった「佐藤」の黒、という高い焼酎をお湯割りにして飲んだ経験があります。
一方、生活水準を落とした現在、瓶詰の「佐藤」の黒よりもはるかに安い、紙パックに入った「黒霧島」のお湯割りを呑む自分が居ます。
味は違うのでしょうが、正直言って、「佐藤」の黒と「黒霧島」の味に大きな差があるかどうかは、今の私の舌では判断ができません。
現在は、紙パックの「黒霧島」のお湯割りで十分に満足していることを実感しています。
経験値として高い酒を呑んだことがあるので、それと比較して黒霧島が、今の自分には十分満足できる酒であることを実感できています。
これは、生活水準が高かった頃の「佐藤」の黒を呑んだ経験値が無ければ感じることができない実感です。
生活水準が高かった頃の、一部のお金の使い方は、決して浪費ではなく、今後を生きていくための基準となる「経験値」として大切なものだと考えています。
このような「経験値」は、探せばいくらでもあるように思います。
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