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鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

 最近映画館で映画を見てないなと思い、あまり乗り気でない友人を無理やり引き連れてツイッターで流れてきてからずっと気になっていた『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を見に行った。久しぶりに映画館で映画を見た高揚もあったかもしれないが、結論を言うと非常に見応えのある、お値段以上の映画だった。

 「鬼太郎誕生」と銘打っているのだから、五体満足だった昔の目玉おやじが、妖怪たちをバッタバッタと倒していくようなアクション映画要素を期待していたのだが、実際は思ったよりストーリーに重きを置いた戦後復興期の怪奇譚であった。ゲゲゲの鬼太郎に登場するようなある意味「純粋な」悪を行動原理とした妖怪たちよりも、「歪んだ」正義を狂信し手段を選ばない人間の集団の方がよほど恐ろしいと感じさせる映画であった。また、ゲゲ郎(目玉おやじ)がひたむきにいなくなった妻を探し続ける姿勢や、社会にはどうしようもなく残虐な人間が蔓延ると分かっていながら、
「それでもこれから生まれてくる子どもたちのために」
と言い遺して自分を犠牲にして狂骨の群れを引き受け死にゆくシーンは、胸に刺さるものがあった。僕はこういうまっすぐな人間のまっすぐすぎる行動に弱いのです。
 この映画のストーリーは、水木しげるの原作でも描かれていた包帯まみれのボロボロのゲゲ郎がなぜそんな姿になってしまったのかを描いていたものであったことが、エンドロールと同時に流れる漫画演出で明かされる。原作を少しかじっていた自分からしたらその回収はとても興奮するものだった。
 原作ではたしか墓場から生えてきた鬼太郎をみたサラリーマン風の人間が、その不気味さから赤子の鬼太郎を突き飛ばし、墓石に当たった左目が潰れてしまうというものだった。だが今作では一度ゲゲ郎に関するすべての記憶を失った水木が、鬼太郎の頭をかち割ろうと持ち上げた瞬間、突然相棒であるゲゲ郎との思い出がフラッシュバックし、「同じ命だ」と言って雨のなか鬼太郎を抱きしめるシーンで映画が終わる。底知れぬ狂気が支配するこの映画で、唯一の”救い”のシーンであった。

 ビジュアルや演出について。自分の中で大好きな瞬間と大嫌いな瞬間があった。先に大好きな点から。まずキャラデザが良い。水木とゲゲ郎がえっちすぎる。思わず惚れてしまうようなビジュアルでした。公式サイトをみたら、今作のキャラデザ担当者は劇場版シンエヴァンゲリオンでもキャラデザを担当していたみたいです。そりゃいいに決まってる。
 そしてアクション。とても好みな演出だった。アクションシーンに入るとコマ数が増えて線が細くなるのはとても良い。細かい動きもちゃんと細部まで描かれていた。輪郭の線が細くなり、動きに合わせて輪郭がアニメ的にずれる演出(言葉では表しにくい)は本当にかっこいい。
 あと時代を表現する方法の一種だと思うのだが、登場人物みんな煙草吸いすぎなのがよかった。最近喫煙シーンが珍しくなっている中、バカスカ煙草を美味そうに吸っていて清々しかった。主人公が自分と同じ銘柄を吸っていたのもなんか嬉しかった。
 次に個人的に残念だった点。斧を振り下ろすのがおせえ。そういうのにやけに敏感に反応してしまうのだ。せっかくストーリーもグロ描写もかなりシリアス路線でやっているのに、敵が無抵抗のゲゲ郎の首を落とそうと斧を振り下ろすシーン(2回あった)の引き延ばしが長すぎる。うおおという声と共にスローモーションで斧が振り下ろされ、色んなアングルで斧を映す、いかにもな「絶対絶命だよ!!」演出に萎えてしまった。絶対誰かが助けてくれるやつやん。しっかりストーリーも描写も大人向けなんだからそこもシリアスにやればいいのに。
 もう一つ似たようなツッコミ。こちらも超個人的な“好み”の問題なのだが、時貞が時弥の体をのっとっているシーンで、体が小学校低学年なのに顔だけ皺まみれの時貞の顔なのだ。ストーリーも大詰めで緊迫したシーンなのに、一気にギャグマンガっぽくなってしまった。身体ごと精神をのっとっていることを演出したかったのだろうけど、首から上だけ顔が変形するということはないだろう。もし不気味さを演出したいならもっと醜い顔とかにしてくれ。コロコロコミックかと思ったわ。

 だが総合的に見たら人間の歪んだ正義の恐ろしさやゲゲ郎の信念、主人公水木の人間的成長をうまく描いたとても良い映画だった。最初は乗り気じゃなかった友人も、映画が終わった後には1時間半くらい僕と二人で考察するくらいには気に入ってくれたみたいだ。また連れて行こう。


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