双子じゃないのに同級生を産んだ話5

夜中に足がつる日々とも、ようやくお別れだ。

次女は田舎に帰って産む。

長女とともに、田舎に永住だ。

ついにグッバイ東京だ、9年間 楽しかったぜ、ありがとう東京!!
と、新幹線の車窓につぶやいた日が懐かしい。

もともとオイラは、故郷の岐阜に帰るつもりで都会を満喫していた。
ゆくゆくは家督を継ぐ使命があったからだ。なので

ぶっちゃけ、長女を妊娠した時、旦那と  結婚するつもりはなかった。

同棲中に妊娠が発覚して、産もう=田舎に帰ろうという図式だった。

「赤ちゃんできたから、田舎に帰るよ」

『はい?』

「1人で産んで育てるから、大丈夫!」

『え?……』

てな、宣言の日があった。

旦那はオイラより3つ歳下の当時23歳、まだまだ若い。

仕事も順調そうだし、
何より結婚するってことは、オイラの姓を名乗ることになる。
いわゆる婿養子だ。

旦那は旦那で長男なので、自分の姓を捨てることは無理だろうとも思っていた。

普通は子供ができたから、結婚しましょうどうしましょうっていう話になるだろうけれども、
面倒くさい話になるのはごめんだ。

それに、結婚や出産についてオイラがつねづね考えていたことがある。

結婚することによって法的なメリットがあるとしても、
ある日突然 旦那が死んだらどうするの?? って場合だ。

2人で協力して育児を頑張ろうなんてのは幻想で、オイラ1人で子育てをしなきゃならないかもしれない。
(この時点でオイラが先に死ぬとはまったく考えてはいないw)

何があっても頑張る覚悟。

そうじゃなきゃ、軽々しく子供なんか産んだらダメだろうと思っていた。

結婚よりも
子供を産むことの方が、比重が上だと思っていただけだ。

さすがに私生児は長女に気の毒なので、認知くらいはお願いする方がいいのかなぁ的なことはぼんやり考えていた。

『すぐ田舎に帰るの?』

「ううん、仕事あるし。4月の予定日近くまではここにいるよ」


その後、お互いに毎日仕事をして、なにも変わらない日々を過ごした。

新年を迎えて、そろそろ仕事辞めるって会社に言わなくちゃなぁ
などと考えていた時、

阪神淡路大震災が起きた。

平成7年1月17日の大災害だ。

朝から晩まで、どのテレビ局も震災の報道ばかり。
暗闇に燃えさかる商店街や住宅、歪んだ高速道路の画像と悲痛なアナウンサーの声が毎日毎日続いた。

そんなある日、

『胎教に悪いから、もう見ないほうがいい』
と旦那がテレビを消してから、

『結婚しよう』

と言ってきた。


ドラマなら最高潮で盛り上がるとこだがしかし

「田舎に来ても楽しくないよ? やっていけるの?」

『そこ? 嬉しいとかないの?(苦笑)』

「嬉しいけども、…覚悟はしたの?」

『オレなりには』

「んー。そっか…。まぁじゃあよろしくお願いします」


一抹の不安はあったけれども、
宣言の日から よくよく考えてのことだろうと思ったので、結婚する方向で合意した。
(長女の私生児問題も結婚したら解決だしな)

後に旦那に聞いたら、震災が起きたことで、自分の立ち位置を考察し直した的な話をしてた。

けどまぁ、震災が無かったら結婚してなかった(だろうな)

ゾロ目で面白いからって理由で
2月22日に婚姻届を出した。
後に永瀬とキョンキョンが同じ日に結婚したとニュースで見た。


田舎に帰って出産する計画を立ててはいたけれど、
震災の余波も怖いし、とりあえず東京で産んだ方がいいだろうという話になり、
結局、生田の産院で長女を産んだ。

このまま なしくずしに親子3人で東京暮らしを延長するのかなぁ?
と、漠然と思っていたのだがしかし

速攻で次女を妊娠したっていう話につながるわけである。

まぁ結局、オイラは田舎に帰るってことが、デフォルトだったすねw

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