「若い頃は、、」
2024/01/22
こんばんは。
今日は鰻屋でバイトをしていた。冬は成人の日を過ぎれば基本的に暇である。
ちなみに夏の風物詩ともいえる「土用の丑の日」に鰻を食べるというのは、平賀源内が考案したとされ、基本原理はバレンタインデーと同じで、鰻屋の売上目的である。実際は冬の方が脂がのって美味い鰻を食べれる。
話が逸れたが今日は6〜7時に客が1組しか来なかった。その間何をしていたかといえば、職人のおじいちゃんの昔話を聞いていたのである。内容は若いころの性事情だのやんちゃしていた話だの。
自分の中のこれだけはやっちゃいけない役でいくと「俺の若い頃は〜」で5翻、「自慢話」で5翻なので倍満である。
でもふと思う。誰しもが若い頃、自分よりも年配を見て「自分はこうはならないでおこう」とか思うはずなのである。現在おじいちゃんになってる人たちだって若い頃は同じように思っていたはず。
ではいつからそっち側に行ってしまうのか。私の考えでは、「人生折り返し地点以降」だと思う。半分まで行く間は、自分より後ろを走ってるやつになんて目もくれないのだと思う。前を向いて希望に満ちて歩んでいる。
だが復路に差し掛かると、一度見た景色を再びみることになる。しかも、自分より先の未来に希望を抱いて走る若者とすれ違いながら。
そこで、「俺がそこ通った時はな、」とか言ってしまうのである。
でもたまに、ああいうイケオジになりたいなぁって思う人に出会う時がある。その人たちは何が違うのか。
おそらく自分と向き合うということなのだと思う。復路ですれ違うのは他人ではなくあくまで自分。過去の自分に、「どうだ、お前が頑張ったおかげでここまで立派になったぞ」と誇れる自分になっているから、他人に自慢話などしないのである。でもそういう生き方ができる人は、周りから見てすごくかっこいい。
未来の自分に「頑張ってくれてありがとう」と言われるような今の自分でありたいし、過去の自分に誇れる今の自分でありたい。
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