生きる難易度

旧世代の方がなるようになった生き方が出来たとしたら、今はなるようにならなくなった、というのが出てきたのだろう。

どうも気になるのは少子化対策の胡散臭さで、産めば補助が出るとか政策で躍起になっているが、実際は日常生活から計算、分かるものだ

半世紀前などは、子供ができるというのはまだ「おめでた」など言えたし、儲けが少なくても自分の孫の顔が見られるまでは…云々という声は、まだ認められた。

産んでもバックアップがあった、おおらかだったというか、何とかなった「余白」が大きかったに違いない。

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ドラマやメディア、小説などにも、ハンディがあっても内容が綺麗に描かれるシーンがあるが、あれはラストシーンである。

実際は長く続く日常生活であり、苦労多い中で小さな息抜きかあるかないか?だろう。

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しかし、むかしを攻めても仕方ない。

専門家などは、少子化などは自然であり、なっていく現状を何とかすべきだという。

「何でこうなったのだろう?」と、ある戦後世代が言ったことがある。

要は予想できないし、予想や備えなくして生きられたともいえる。

慎重にならずとも、おおらかにしていれば良かったが、これからは何が読み解けるか?などが必要になる。

また、世の中に見える綻びはアチコチで見られるが、勇ましい意見を言うのが中にはあるが、結局は勝つことよりも、生きることを考えなければ、後が続かないのである。

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