実は勘や感も必要


よしもとさんの本を読んでいるが、なかなか分かる部分が多い。

作家や随筆には、独特の感性が要るようで、新聞を読んでいた世代なら、文章くらいは、スラスラ書けて文才までいかなくても国語力はあったはずだ。

スラスラ書けるのは並だとしたら、もうひと超えの部分には何が入るのだろうか?

たぶん、発想に関わる勘所…感覚なり、直観なり、それが誰しも納得するものでないと、いけないのかもしれない。

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売れる本を書くと乾いてくるのは、魂胆が見え見えで、起承転結が読書初心者にもわかるからだ。

いや、読む者がウケるポイントを外さなければいいのだ。

それが続けば、インパクトには問題あるが、フォームとして定着し、乾いていようがいまいが、いち文化になってゆく。

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それにしても勘所というか、勘、感覚にしても日常生活でも使う部分だ。

今回の本では、ある店の非常識(?)が露骨に書かれていて分かりやすい。

生焼け肉を出すとか、客に仲間言葉みたいな口の利き方とか、公私混同みたいなものが、よく書かれていた。

だいたい、ウマシカの語源では無いが、働いていれば、黒を白ということが、ままある。

働く論理と常識(日常生活)が離れているのだ。

理論ばかりで、現実的におかしいことを客にも、おかしいまま出さなくてはならないというのは、やり過ぎだし、道理から外れている。

まえに、リスカの血液をドリンクで出す店がニュースになったが、理論でダメという前に、問答無用でダメと言わなきゃならない事態である。

理論や理屈でやるから、向こうが強ければ大人のコッチだって負けることがあるし、結果として現実的な道理がカタカタと、崩れていく。

生焼け肉が、マズいというのは〇〇菌がいるとか、食品衛生…云々より、本能的(?)バランスを崩しているから勘所…感覚が働くからだ。

この一線を超えて許してしまうというのは、勘所や感覚より、新しく作った理論が強く、それに靡(なびく)く時代になったのだろう。

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