退廃的にならないために


人間、供養されない感情なり過去があると、腐る。

若いうちならまだしも、歳を取って、それをやるのは見苦しいし、救済のチャンスが無くなってくる。

もうひとつ、突っ込んで考えるなら、窮地…自分としっかり向き合うために、少しの時間でもいい、決まった時間を自分に充てるのだ。

スナフキンなどは、世の中では達観していると見られる。

現実的な物事を、現実に囚われず、巻き込まれず、世の中や世界はそういうものだ、という視点は必要である。

究極的には世の中は、なかなか変わらないし、自分だっていつかは死ぬ。

世の中や世界に囚われていて、叶うであろう理想にしがみついていては、幸せどころか、現実に絡め取られ、苦しむだけだ。

居場所がない、というのは気の毒である。

だけど、それを(ある意味)いつまでも探していたり、死ぬまで世の中や世界と、付かず離れずの関係を保つのが、世の中との付き合いなら、居場所がないと嘆くのも、どうか?と思う。

マジョリティ的に、普通に家族を持ち、並に社会生活を送るというのは、安全パイである。

大量のイワシや鳥の群れが、集団なるように、自分を歩むより、集団の方が生きやすいだろうという、本能的な判断で生きているようなものだ。

人間世界もある種の文化が発展したと見られる世界だけど、古代ながらの野生世界の続き…相似形であるには違いない。

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