不器用

なかなか、謙遜が言えないようになった。
謙遜してものを言う信じんを見なくなったが、代わりに見るのは自信たっぷりに、自分のことをいう者だ。

大言壮語も流行りなのかもしれない。
やや、軽躁気味で話すコメンテーターや出演者など見ると、どこまで言動に責任をとれるのか?

新書、ハウツーに限らず、教養番組で、あのノリをやられると、見たくなくなってしまう。

自分も偏見ある人間だが、控えめに言っても、もう少し落ち着いて喋れや、と思うことがある。
または、ああ喋らないと受けが良くないのか?

ある方は「新型うつ病」ですら軽躁を疑い、その状態に病と疑えという。
または、祝祭のノリはハレであるが、ハレ…躁の状態ばかり求めるのも、状態的には水平ではない。

本当は、不器用だったり、ぎこちなさ、躊躇いを出しても良いと思うのだが、偏見を受けたり、レッテルを貼られると、あとが怖いのだろう。

とても、やり方が野生的(サバンナ)に見える。


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