大先生の意見からの連想

私はプロでは無いから、分からない話なら捨てて欲しい。

さきの大先生曰くの動画について、問題は現代成功者の話が幅をきかせていると、いうものだ。

何がいけないの?というが、要は、他人が似たようなことが果たしできるか?に尽きるのだ。

すでに、タカ派の精神科医などは、人間は能力、環境は不平等であるて認めているし、皆同じ、平等悪を唱えるのは、チト時代遅れである。
平等悪を唱え自由にできるのは限られたものであろう。

成功者の残酷さは、目の前の人間にも、出来ていることを要求してくる。それが前提であるかように振る舞うのを求める。

思春期にもなれば、誰しも、誰々は何かに秀でていたり、そうでないと悟るものだ。

ただでさえ、高等教育に行くには資本がものを言うし、それなりの基礎重ねが、時間を追って必要となり実になる。

2人の子が大人になり、2人がエリートと貧乏人となり、話が合わないとか、知っているはずのことを知らないというのはある。

物事の知識や情報は、それの積み重ねで
できていくものだ。

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若い頃は万能感に溢れる。

従って、有名な成功者の動画に惹かれるというのはある。

現実を見よ!というのは、年寄りの役目なのだが、老害だの、デスハラだの、どこか体の不自由が出たら養老院に入るのだから、経験的かつ時間的な悟性を語る場がない。

しかし、行きすぎた物事は際限なく壊しにかかる。

むかし、河合某は若さの仕事は破壊と創造であるとか、世の中を挑発したり壊すことだ…云々、と言っていた。

それを、何もしないで破壊するの気持ちも良くわかるなど、言って見ているのは大人が仕事をしていないのだ、という。

跳ね返すのが大人の役目という。

難しいのは今の大人が、すぐに外注化する癖がついていることだ。

刑罰のまえに、叱り、躾など間があればいいのだが、いきなり刑罰や警察を入れるから、ホントの教育はできない気がする。

なお、子供が論破が得意になったと聞くが、その流れも原因と私は思っている。
直接的な意見や声は相手を入れる隙間がない。

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