小説や作品の可能性,その他


まえに本など他人の考えを読むのは、無駄という意見がある…云々について、書いた。

本が売れないに始まり、マンガもスマホで済ますようになり、ニュースですら、まとめっぽい記事で済ませる時代になった。

もちろん、新聞は売れない。

本が読めないなら、せめて新聞を読みなさいと、むかしは言われた。

だけど、新聞が読まれない。

むしろ、個人の興味ある文章やネット記事が読まれているのは、偏りはあるが、自分好みに選べるようになった、とも言える。

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本題。

小説には、破廉恥で、内容がぶっ飛んだものがなくはない。

そういうもので、現実にできない発散をしている、という説も否定できない。

ゲームでいえば、殺戮モノだろう。

あるいは、マンガによる内容の常識外れな作品か。

子が内容を真似するというリスクがあったり、ゲーム脳になるとか、騒がれるが、それ以外の捉え方もあると思う。

しかし、本が敬遠されるというのは、ある意味、感覚的なことが直接、味わえたり、処理できるようになったように見える。

スマホのゲームやマンガなどは、かなりストレートに体感できるし……脳の報酬系の直線回路が、よりスマートであるようにも見える。

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もう一ついうなら、小説が、人間の本能や忌まわしいことを、文化的に封印してきた、可能性がある。

作品に昇華や代償する心理的な効果だ。

さきに、直接的にスマホで体感…云々と書いたが、どうも最近は、その封印が解かれたり、緩くなっているように、思わなくない。

他人の文章…考えや感情を読むなら、もう、ネットにあがっている、まとめみたいなモノを見れば、いいじゃないか!みたいな感じが今は主流か?

粗雑にいえば芸術作品だって、人間の持つ粗さや本能を作品に封じてきた。

封印する意味…精神分析でさえ、否定する意見が多い昨今、文章にしたり、作品にする意味をもう一度、問うてもよいのではないか、とも思う。

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