1番いけないのは慣れである

政府が3万で国外に移送させるという。

あたかも旅行会社のサービスのような扱いである。

いや、むかし中東に入り拉致された若い子に自己責任を投げた声は多かった。

やった人間がいけないという流れは、昔から変わらないが、変化した部分は自己責任が無言になり、自動的な罰金刑のようになった部分だろう。

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むかしから、警鐘者というのは弱い部分から生じる。

彼らの言葉にならない言葉、言葉になっても意味不明な訴えは「問題」だから、存在する。

たしかに、政治や世の中を抜きにして、我が道を考えさせるセラピストもいるようだが、生命の基本は生活であり、インフラである。

目の前に集めた金があれば、吉宗のように倹約しなければ、惰性で少しづつ使ったつもりでも、直ぐに無くなる。

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私が胡散臭く思うのは党派性云々よりも、世の中というのは表裏であり、繋がりがあるというものだ。

桜井さんによれば、善悪の関係、明暗の関係もどこで、どう繋がっているか分からないという。

どんな世界でも、二者、三者は仲違いしていても、どこかで繋がっているようなものだ。

もし本気で何かを変えたいとか、働きかけたいなら、悪く悪くは流れないような気がする。

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しかし、世の中には変な言葉が流行るし、上のドバイの例なら、3万借りて脱出すればいい、という考え方が出てくる。

10年前から多様性…云々叫ばれているが、実は大事なのは、どんな考えがあっても、プールしておくというものだ。

珍妙な考えが広まるから問題になるのであり、程度を越さなければ、隅に置いておく方がいいのである。

私の考えのように。

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