現実主義への調味料
基本、私は現実的にものを見る。
だけど、時に迷う事もあるし、生きる指針にも不安になることもある。
全てが完璧にはいかないのだ。
本などは、読む人のバックを支える効果がある。
本がなくてもよい人間というのは、考えや感情が現実生活(家族や仲間)で、うまく補われている可能性はある。
じゃあ、仲間とか家族と上手くないから本か?というと、そうでもない。
変な話、果たして家族や仲間を持てば、真っ当になるとか、ちゃんとできるか?は別な気もする。
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哲学が嫌われるのは、深すぎる部分がある。
そんな、深みに潜ってないで日常をちゃんとしなさい、という意見もあるし、現実を楽しんだり、ポジティブにいくなら何も哲学少女をしなくても、いいわけだ。
しかし、嫌う、嫌うといっても、本人が望むのだら仕方がない。
それを取り上げる方の害やリスクを考えたら、持たせておいた方がいいはずだ。
スマホをみればよい。
1億総スマホになり、あたかも依存症のように中でも内でもいじくっているのだ。
これほどまでに、日常生活と溶け込んだアイテムは今までないし、これを急に取り上げた方が、いわゆる薬切れを起こし、厄介ではないか。
世の中には、完璧によいアディクションがないように、嗜癖には良いこともあれば、悪いこともある。
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しかし、哲学じゃなくても、宗教でもいい。
妙なことに繋がらなければ、神秘主義でも、精神世界でも齧るのはありだと思う。
要は、生きているうちに必要となる成分のようなものだ。
無闇に、それを否定したり、あってはならないとしたら、逆に神秘の方から反撃に遭うものだ。
私の好きなアーティストなどは、神秘や精神世界を2-3割りやっていればいいと、言っていた。
偏りはよくない。
宇宙的に見れば、何かが何かを支えたり、必要なときに必要な栄養素でもあるのだ。
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