現実主義への調味料


基本、私は現実的にものを見る。

だけど、時に迷う事もあるし、生きる指針にも不安になることもある。
全てが完璧にはいかないのだ。

本などは、読む人のバックを支える効果がある。

本がなくてもよい人間というのは、考えや感情が現実生活(家族や仲間)で、うまく補われている可能性はある。

じゃあ、仲間とか家族と上手くないから本か?というと、そうでもない。

変な話、果たして家族や仲間を持てば、真っ当になるとか、ちゃんとできるか?は別な気もする。

~~~~~~~~~~~~~

哲学が嫌われるのは、深すぎる部分がある。

そんな、深みに潜ってないで日常をちゃんとしなさい、という意見もあるし、現実を楽しんだり、ポジティブにいくなら何も哲学少女をしなくても、いいわけだ。

しかし、嫌う、嫌うといっても、本人が望むのだら仕方がない。
それを取り上げる方の害やリスクを考えたら、持たせておいた方がいいはずだ。

スマホをみればよい。

1億総スマホになり、あたかも依存症のように中でも内でもいじくっているのだ。

これほどまでに、日常生活と溶け込んだアイテムは今までないし、これを急に取り上げた方が、いわゆる薬切れを起こし、厄介ではないか。

世の中には、完璧によいアディクションがないように、嗜癖には良いこともあれば、悪いこともある。

~~~~~~~~~~~

しかし、哲学じゃなくても、宗教でもいい。

妙なことに繋がらなければ、神秘主義でも、精神世界でも齧るのはありだと思う。

要は、生きているうちに必要となる成分のようなものだ。

無闇に、それを否定したり、あってはならないとしたら、逆に神秘の方から反撃に遭うものだ。

私の好きなアーティストなどは、神秘や精神世界を2-3割りやっていればいいと、言っていた。

偏りはよくない。

宇宙的に見れば、何かが何かを支えたり、必要なときに必要な栄養素でもあるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?