世の中を見渡してみれば
若い子の事件もあれば、教員の心無い発言が最近あった。
早期教育を叫んでみれば、ゆとり教育もあった。
では、世の中を見てみれば、発達障害だの、学習障害だの子供を心配した言い方も目立つ。
しかし、よほどのことを除けば、子供だって自然であり、育つ生き物である。
それを大人の速度から判断するから、おかしいと導かれる。
行きずり殺人は、特定困難と言われる一方、何らかの重大事件は、身内とか、近しい者によるのがある、と言われる。
佐世保で、女子同士が殺傷事件を過去に起こしたが、身内(?)や普段から顔を合わせていれば、頼り、依存したくなるのが、人間かもしれない。
要は「何で(いつもの事を)やってくれないの!」になる。
変化を嫌いながら、気ままなことを言うのは、人間どころか、現場すらも混乱させる。
自分中心に見るのではなく、他人も世界に居るのだと見ないと、いつまでも他人は自分の延長と思いやすい。
粗く言うと自立である。
河合氏は赤坂氏との対談でイノセントの解体を言ったが、純朴で傷付きやすい自分というのを、いつか別れ去らなければならない、と結んだ。
もちろん、世の中に出れば傷つくこともあるし、搾取されることもある。
坂口さんは、国家という搾取装置と呼んだか、実はそれに親和して似たような装置は身近にある。
ネットがそうだ。
経験が浅い若い子をターゲットに、美辞麗句を並べて食い物にする企業もあるが、それは裏稼業のそれと全く変わらない。
村上春樹は、暴力についていつも描くが、何が暴力になり得るか?を感じていないと、危うい世界である、その警鐘を作品から伝えている。
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