子供は自然である(人間にするとは)


養老さんが子供は自然であり、言うことを聞かないのは当たり前である、と仰った。

自然なのだから、言うことは聞かないし、やることも予想できない。

まして、若い子になれば、自尊心も出てくるし、自由を履き違えた大人(?)みたいに振る舞うのはあるだろう。

大人が若い子を叱れないのは、利害関係もあるが、理屈が上手いのもある。

そのうえで、教育や導きも必要であるから、叱るにしても難しいのだ。

新型うつ病ではないが、疾病利得を盾にして海外旅行に行き何が悪い!というのは、やりすぎである。

恐らく、もっと前段階にその子の教育や導きに問題があったに違いない。

しかし、そういう私だって大したことないし若い子より、少し前に世の中に生まれてきた存在である。

ひょっとしたら、若い子のほうが優秀で人徳があるかもしれない。

それにしても、少し前に新入社員に即戦力など言うのがあった。

ボタンひとつで立派になるわけがないのだから、大人の都合であり勝手である。

人間がものを覚えたり、育つには時間がかかるし、その点は大人に課せれた耐久力勝負である。

新入社員に喝を入れる研修などが、たまに見られるが、あれなどはどうも、今までの大学生活や家庭の教育や導き…躾の取り返しになっている気もする。

要は叱るという悪役(あるいは面倒)をやりたくないわけだ。

そういえば、学校にも親は成績と同時に躾も望んでいるという頃もあった。

いまは求めるものに、躾より成績がいいとか、立ち振る舞いがいいとか、要領がいいなど、露骨に望むのだろが。

また、無理に部活に入れて内申をよくするのもそうだが、土日に野球部に向かわせるのは、タフになって欲しいと望むからなのか。

たぶん、部活事故死(虐待死)などはリスクであるのが分かっているのだろうが、起きない限りはさせてしまうのが親の性(サガ)でもある。

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