教育や能力を,もう少し考えてみた


子供の数が減っているし、虐待も世の中では多いあようだ。

能力やセンス、その他、価値になるもの、有利に働きそうなものは、誰かと比べれば際限がない。

かといって、何も苦悩せずサラッとやってしまう万能選手は、この世にはいる。

思うのだけど、有能というのも怖いものだ。

有能、優れた能力は、良くも悪くも使う者や環境次第だからだ。
それに、そんなものを敵に回したり、裏切ったりするのは、かなりリスクがある。

学校を出たって、会社や組織に入れば、数は少ないだろうが、訓練や時間をかけずに、すんなり熟してしまう、やり手がいる。

もちろん、その能力なり力を上手く、為になるように使うなら良い。

子供が大人になり濁っていくように、やることが不純になり、よからぬ方面も、経験として知る…能力ある者は、そのような方面も、通じてしまう…通じらるれるゆえ、傍から見れば万能選手なのだ。

ある意味、良くも悪くも能力者に従っておけば、間違いないというのは太古の時代から、あったのかもしれない。

信長は能力主義で経営を固めたが、力が無くなれば切られるのだから、それが良いのか?悪いのか?分からなくなってくる。

ただ、老れば、できることも少なくなるだろうから、賢者的老人でなければ、暇を出されるかもしれない。

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そんなこんなで、今の時代は子をもうけるというのは、相当な覚悟が必要なのだろう。

よく分からないけど生んでしまった、という時代には周りもクッションがあり、世の中に「間」があり、逃げ道も、別の道もあった。

四半世紀まえから続く、わけのわからない能力主義みたいなものは、だいぶ精度があがってきているように感じる。

また、親はいいが、もし我が子が劣っていたなら…など考え出したら、子をもうけたくないのは分かる気がする。

まえに、子供は自然であると、記事を書いた。

しかし、それは大人が子供は自然で、言うことを聞かないものである、と分かっていたうえでの話である。

経験のない子供の多くが、そうであるように、大人より世の中を知らないのは当たり前であろう。

養老さんなどは現代を「脳化」といい、不効率な自然(≒子供)は、脳の世界からすれば、あってはならないことだそうだ。

脳化はシステムでもある。

要は歯車の一部になるように効率的でなければ、無いものとされるのだから、子供などは、まさにシステムから外れたことをする。

そんなシステムにしか生きられない大人というのも哀しいが、大人世界が現代は、その型でしか存在しない限り、そこから外れたり、馴染まない者にとっては、生きにくくなるのは必至である。

私もひとのことを言えないが、学校をサボりにサボって逃げてきた。
しかし、世の中というのは待ってはくれないし、合わせてはくれない。

非行をやろうが、不登校をやろうが、病で退避しようが、そんな世の中というのがあるのだから、専門家でも患者のために苦労するのは当たり前である。

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