もう一度、心理学をやる必要がある❷


心理学学者には、軽薄にならないと今は世の中を渡るのが難しい傾向がある、と言うのがある。

確かに、宗教、文学、心理学(精神医学)など、ある種の浄化装置が、必要だった文化基盤はあったはずだ。

それが、新自由主義や管理資本主義などが高度となり、上から下まで…浄化のスタイルがビジネスに影響された、ともいえる。

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もし、非行や犯罪性が、文化的に融合した(可能性)かたちをとるなら、その姿は、善悪の判断が難しい。

いわば、いままでの悪というものすら、含むというより、イメージや姿として、受け入れる形になる。

要は、新たなタブーである。

または、(見た目悪くても)悪を含めた姿が主流となる。

「清濁併せのむ」ではないが、それを否定した時点で、否定した者が悪くなる、というアベコベが起きる。

しかし、基本に戻っても単純に「何に困っているか?」など、患者に聞いて〇〇だ!と、言っても、それが周りから受け入れられない、というのは昔からある。

時代性の倫理や哲学というより、いまは一体なにが強いのか?という見方でもある。

適応や事実に沿う態度は、流行ではなくても生きる術であるが、それに馴染まない場合には、即座にマイノリティと化す。

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