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奔流を尻目に川底に喰らいつく

変化が苦手だ。

自分自身を取り巻く環境だとか季節の移り変わりだとか、何であってもある程度予測できるものなら心構えもできるし仕方のないことだって理解もする。
予告なく変わるものが苦手なんだと思う。

川底の石みたいに、流れに動かされることなく今の場所に居続ける、みたいな生活をしている気がするなとはたまにふと思うのだけど、それはそれで不満もないしそれでもいいじゃんって思ったりする。

いや、もう、恥も外聞もかなぐり捨てて言えば、他人の変化に触れることが苦手なのだ。

年齢を重ねたり交友関係を広げたりすればするほど、ライフステージの変化に直面することが増える。
その分いろんな価値観を知るし、新しい知識も増える。
けどその新しい価値観に、周りの人たちが移っていくのに、自分だけが取り残されるみたいなのを感じることがあまりにも寂しくて惨めでみっともなくて、自分の中の子どもっぽい部分だけがライトアップされたみたいに強調されるようで、どうしようもなくて膝を抱えてうずくまりたくなる。

他人の変化が喜ばしいことであれば祝福しようという心はあるし、好ましくないことであれば心配もする。

そういう対人的な感情とは別のところで、自分だけまだこんなところにいるのかと思うやましさが、酷く居た堪れなくて、どうしていいかわからなくて、いっそ大声で叫び出したくなる。

けれど自分は自分だし、変わりたくないという気持ちが強いわけでもなくむしろ進化できるならしたいとも思うし、新しいことに挑戦するのも嫌いじゃない。
ただ、自分の意思の及ばないところで、知人が変わっていくのが寂しいし、知らないところに行ってしまうのは怖いし、自分だけ変わらないことを嫌でも意識してしまうから嫌なのだ。

そもそもそうやって他人の変化を見ても、自分と比較しなければそう変に穿った考えを持たなくて済むのにな、と思うけれど、昔から、絶対的な意志より相対的な景色の方が鮮やかに見える私には、手に馴染んだ天秤を手放すなんて今更できないことなんだよなぁと思考を諦めて、今日もまた天秤の向かいの皿の上に何かを乗せて、自分の位置をプロットするのだった。

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