ラン&ついでの自由研究~筑波研究学園都市~
走った日:2022年9月11日(土)
走った距離:30k
先輩にリードしてもらって30キロ走りました。 走ったのは、筑波山にいだかれた研究学園都市です。 筑波大の広いキャンパスの中も走らせてもらいました。 日曜日なので人影はなく、木陰はいっぱいで、走るのに好都合このうえなし!
筑波大はキャンパスだけでなくって、懐も広い。 自信と余裕を感じる、なんてったって、敷地内に『東大通り』がある!! 東京大学に敬意をきちっと示す。
と思ったら、それは、「ひがしおおどおり」でした。
まあ、それはともかく、もうね、筑波大キャンパスの中は当然としても、公園も、公道も、どこもかしこもサイエンス、宇宙、アカデミック、インテリジェンス感満載で、そしてきれいに整備されていて・・・・ つくば博の跡地は名だたる企業が誘致されていて、まぁ、その前庭っていうんですか? きれいに剪定された緑が美しいこと。
筑波大学って、そう昔っからあるわけじゃない。 昭和の受験生の私は覚えています。 私が大学受験をしてたころ(そこを受けるほど優秀じゃなかったけど)は、『筑波大学』だったけど、その当時は耳新しい大学。 教育大が筑波大になった? みたいなイメージがあったのよね。 そう、筑波大の前身は教育大ですよね。
あらためて思った。
なんで教育大が筑波大になったの? てか、どういうふうに?なんでここに来たの?
このアカデミックな街はいつごろからどういうふうにしてできたの?
筑波山、筑波大学、筑波研究学園都市、つくば市。。。市の名前はひらがななのはなんで?
この町、これまでどんな経緯をたどってきたの?
で、調べてみました。 あんまり系統だってないけど、心の向くままに。
つくば市および筑波研究学園都市の地理的成り立ち
つくば市(筑波市ではなくて、つくば市です)は、茨城県の南西部、東京から北東に60km。 人口は24万を超え県内では県庁所在地の水戸市に次いで弐番目。 外国の方が多いのが特徴でもあります。 研究者さんでしょうね。 そして今も尚人口が増え続けているパワフルな自治体。 都心からのアクセスも良く、さらに緑に包まれた環境を考えると不思議ではないですよね。 つくばエクスプレスの快速を利用すれば秋葉原から45分で行けるんです。 (私の住む行徳から東西線各駅停車で45分は高田馬場、東京駅から特快にいけば46分で豊田、時間としてはそんなものなのです。) 距離はあっても時間は短いんですね。
この地図が比較的わかりやすいのでお借りして編集してみました。
こちらのサイトから地図をお借りして編集させていただきました。
つくば市とか研究学園都市とかいいますが、こちらのサイトによると、研究学園都市といったらほぼつくば市のことを言うようです。
そして、この研究学園都市は、『研究学園地区』と『周辺開発地区』とに大別されるらしい。
『研究学園地区』は は、ちょうどこの地図の青い部分。広さにして研究学園都市の1/10くらいに見えますね。2700haで山手線の内側の面積に相当するんだそうです。国のプロジェクトで計画された地区で、研究教育機関、公共施設等、市の中枢機関が住宅と共に一体的に整備された区域です。なので、(当然ながら)新しい。
『周辺開発地区』は、それ以外の部分で面積の9割を占める。研究学園地区が出来るずっとずっと前から町として存在している、歴史ある区域です。
では、ざっくりと、研究学園都市のこれまでの経緯を。
研究学園都市建設構想は、『科学技術の振興』と『高等教育の充実』、および『東京の一極集中の緩和』を目的としたもので、1963年の閣議において、数ある候補地のなかから筑波に決定しました。
筑波が選ばれた理由は、
東京から60KMと、比較的近い場所にある
霞ヶ浦が近くにあるので、研究機関が使用する研究・工業用水の安定的調達が期待できる
平坦で広い土地が確保でき、地盤も安定している
などです。 主な推移を年表で整理すると
1963年
閣議決定 研究学園都市を筑波に
1969年
研究学園都市開発事業総合起工式。建設スタート
1972年 筑波宇宙センター(JAXA)開設
1973年 筑波大学開学
1980年
43の試験研究・教育機関の移転が完了。
晴れて『筑波研究学園都市』デビュー
1985年
つくば万博(正式には国際科学技術博覧会)開幕
常磐自動車道開通
1987年
「つくば市」誕生
(大穂町、豊里町、桜村、谷田部町の町村合併)
翌年に筑波町、2002年に茎崎町が編入
2005年
つくばエクスプレス(TX)開業!
都心からぐっ!!!っと近くなる。
2011年
つくばモビリティーロボット実験地区に認定。
モビリティロボットの公道実験などが行われ、人間とロボットが共生できる社会づくりに向けた取り組みを追及。
つくば国際戦略総合特区に指定。
ちなみに『国際戦略総合特区』という言葉を始めて耳にしたのですが、これは
とありました。
そのつくば国際戦略総合特区で現在進行中のプロジェクトというのが
次世代がん治療法の開発実用化
生活支援ロボットの実用化
藻類バイオマスエネルギーの実用化
TIA世界的イノベーションプラットフォームの形成(国際競争力のあるナノテク拠点の構築を目指す取り組み)
つくば生物医学資源を基礎とする革新的医薬品・医療技術の開発
核医学検査薬の国産化
革新的ロボット医療機器・医療技術の実用化と世界的拠点の形成
戦略的都市鉱山リサイクルシステムの開発実用化
植物機能を活用したヒトの健康増進に資する有用部室生産システムの開発事業化
などだそうです。
よくわからないけれど、先進的先端的なのはわかる(笑)
50年の決して長くない、けど短くもない年月を経て、いまのつくば研究学園都市がある、そしてこれが日本の未来にむけて道をつくっている・・・照らしてるんじゃなくて道を作ってる感じ。
要するに、未来に希望をもてるような地域ということですね。そんなところをランニングにご案内いただきありがとうございました。
つくば市がひらがな表記な訳
つくば市はつくば市であって筑波市ではありません。
でもまえから筑波町はあったし、そもそも筑波山があった。
筑波山から名前をもらっているのは間違いない。
なぜ、筑波じゃないの?
市名の命名は、市発足当時の県知事竹内藤男氏によるものだそうです。
とあるように、「ちく」と読まれるのを嫌ったんだそうな。 でもね、はやってたのかも、ひらがなの市名って。
筑波大学と東京教育大学
このテキストの冒頭、筑波大学の前身は東京教育大だった・・・ということを書きました。そう思ってましたから。
調べてみると、どうもそう簡単なことではないらしい。
移転反対闘争があったり。調べていくなかで、『東京教育大学はは廃学、筑波大は新設された大学』という表記に出あったり。
いろんな見方があるみたいで、そのひとつひとつを検証するのはちょっと私の手に負えない。
『東京教育大学から筑波大学への流れ』(欲を言えば、昌平坂学問所~東京師範学校などの流れも含めて) などという整理をしようと思った自分の浅はかさを反省しつつ、筑波大学ウェブサイトにあった沿革、ここに転載し、それ以上はやめておきます。
あと、建学の精神というところにこんな表記もありました。
なんとなく、なんとなくですけど、伝わってきますよね。新しい大学を目指しているっていうことが。
(途中省きますが)
ずっとずっと昔のこの地域についても少し
最後に、この地域のずっとずっと昔のことを少し調べてみました。以下、ポイントだけ。
この地に人が住み始めたのは、4万年前くらい。
紀元100~200年くらいには水稲農耕が始まっている。350年くらいには、古墳が築かれ始める。
大化の改新で、つくばを含む6国が常陸国として統合され、以降律令国家に組み込まれていった。
律令制が徐々にくずれていく中、平将門の乱。これはこの辺が舞台(らしい)。時代は中世へ。
鎌倉時代、有力御家人八田知家(はったともいえ)は常陸国の守護職に任じられ、市内の小田に本拠を置いた。今まさに、大河で活躍中ですね。
八田氏の総領家は小田姓を名乗り、戦国時代に佐竹氏に敗れるまで小田を本拠地としてこの辺りを支配。かつての筑波鉄道小田駅の近くには、小田城跡が。
小田城は、南北朝時代に南朝方の関東における拠点としても名高い。北畠親房は小田城内で「神皇正統記」を執筆。
ずいぶん昔のことをおつまみ程度にいれたのは、時代の先端都市つくばも、なんにもないところからふっと突然にできたわけではなく、人々が住み、営み、歴史を刻んで今がある・・・というのをなんとなく自分のなかでまとめたかったから。
それにしても、歴史を紐解くというよりも、未来に目を開かせてくれる街を案内してもらいながら走れたこと、いまさらながらに感謝です。
インスパイアありがとうございました。
そして読んでくださった方、ありがとうございました。
参考にしたサイトは以下の通りです
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