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ラン&ついでの自由学習~皇居と和気清麻呂像~

走った日:2022年6月11日(土)
走った距離:15k (皇居3周)

皇居と和気清麻呂像の話


皇居を走った時に、大手濠、竹橋駅付近にある大きな像が、和気清麻呂像(わけのきよまろ)なんだけどいつのまにか阿倍仲麻呂像(あべのなかまろ)と勘違いをして記憶していた話をFBになんとなーく載せたら、この和気清麻呂像についてちょっと反応があったので、あらためて和気清麻呂というお方について。
 
この像は、皇居大手濠緑地内、気象庁のお向かいくらいにあります。
竹橋駅の真上あたりですね。 
建立は昭和15年なのですが、このあたりの工事にともない、ずーっとお隠れになっていたのです。
私が走り始めた時にはその工事が始まっていたので、その幕? に隠れて、存在を知らず。 最近になって、この堂々たるお姿に感服、『まろ様像』と呼びながら、ラン仲間との待ち合わせや休憩のスポットにしていたのでした。

麻呂様とわたし


で、復習&ちょっと調べました。 和気清麻呂。

まずお断わり。 ここから先、調べたこととか、子供の頃に学校の社会科の授業で教わったこととか、そういうことをベースに書いています。 でもそれが本当に事実かどうかはわかりません。 ずーっとずーっと昔のことで。 どれが真実か? なんて、考え方の問題ですからね。
自分の思想的な背景は一切ありません。

和気清麻呂は備前(今の岡山県)出身、奈良末期から平安にかけて朝廷に仕えました。

和気清麻呂について話すには、『孝謙天皇(後に上皇に、そして一代おいて、称徳天皇として再即位)』『道鏡(僧侶)』の登場がどうしても必要になりますので、少し前置き。
この『道鏡』というのは、わる~いお坊さんとして小学校の社会の授業で習った覚えがあるわ(笑)
ま、わかりやすくいえば、道鏡というお坊さんの悪だくみから皇室を救った人といえば良いかしらね。
で、そのあと、平安京建設の現場総指揮監督らしきこともした、となれば、工事が終わった大手濠緑地から にょきっ! と大きなお姿が出てくるのもとってもしっくりいきますね(笑)
 
ではおさらい

孝謙天皇/孝謙上皇/称徳天皇 (みんな同じ人)


父は聖武天皇、母は光明皇后。 皇位継承者である男子(孝謙天皇にとっては弟)が夭折してしまったので、皇位を継ぐことになり、孝謙天皇となりました。 日本史上6人目の女性天皇です。 
母である光明皇后とその甥の藤原仲麻呂という人のサポートを受けて政治などがんばっていたのだけれど、お母さまの光明皇后の看病を理由に、皇位を淳仁天皇にゆずって上皇に。 
で、そののち、この藤原仲麻呂&淳仁天皇のタッグとの微妙な力関係に苦しむ、母がなくなって気落ちする・・・、と同時に藤原仲麻呂&淳仁天皇との関係がさらに難しくなっていくなど。。。

道鏡と宇佐神のご神託


そんな苦しい上皇に近づいたのがこのお坊さん、道鏡。
ストレスと落胆から病に伏せる孝謙上皇に祈祷するなどして上皇の寵愛を受ける。
上皇は、藤原仲麻呂からの
「ちょっと仲が良すぎるぞ、あの坊さん、あぶないぞ」
的な諫めにも耳を貸さず道鏡をますます寵愛。 というか、そういう口出しをしてくる藤原仲麻呂に激怒!!
そんな折、そういった力関係のもめごとから藤原仲麻呂の乱というのがおこり、藤原仲麻呂は殺害され、淳仁天皇は流罪に。 
そこで孝謙上皇はあらためて称徳天皇として再即位。
称徳天皇はますます道鏡を寵愛、法王などという称号まで与え、その親族も朝廷の高い位につけるなどしてしまう。
 
そこでだ。。。。

宇佐八幡神のご神託事件。

 
道鏡は、再即位した天皇の心をつかんでいるわけだし、もう一歩踏みでる。
『道鏡が皇位につけば天下泰平』
というご神託を聞いたと、弟である僧侶と同じく道鏡のガワにいる大宰府主神をつかって称徳天皇に奉上させたのでした。

和気清麻呂登場


称徳天皇は宇佐八幡神のご神託の真偽を確かめるべく、当時官僚だった和気清麻呂を宇佐神宮に遣わす。
そこで今度は和気清麻呂がご神託を聞くことに。 その内容は、
『道鏡のいってることは嘘っぱち。 こいつを排除しないと大変なことになるぞ』
という意味合いのこと。
 
これで、皇室が道鏡にのっとられることは回避できたが、当然ながら道鏡と、称徳天皇(自分で遣わしたのにねぇ(笑))の怒りを買う。 
道鏡からは刺客が送られて死にそうになったり。
そして、和気清麻呂あらため別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)なんていう屈辱的な名前に強制的に改名させられ、おまけに脚の腱を切られて大隅国(鹿児島県)に流されてしまった。
ちなみにその脚は、神のご加護? でいつの間にか治る。 ここ大事。 私にとっては。 (笑)
 
その後称徳天皇がなくなり、当然ながら道鏡は失脚。 
そして和気清麻呂は名誉回復。
後の光仁天皇、そしてなにより続く桓武天皇のあつい信頼を受け、平安遷都を指揮することになる。

一方的な私のまとめ


ということでこの二つの点でもう、皇居ランのベースポイントとしてはぴったりすぎる!!

その1)
皇居周辺の工事終了とともにお姿が戻ってきたのは、平安遷都の大工事と意味もなく被る

その2)
善い行いをしていれば、悪いやつにおられた脚も治るということで、ランナーにはぴったり。
 
これからも皇居ランは和気清麻呂像をベーススポットに。

以下を参照しました。



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