見出し画像

7/29 『はじめてのゾンビ生活』を読んだ

電撃文庫のカバー折り返しって表紙側にあらすじ、裏表紙側に著者略歴やコメントという形式だったはずなのに、本作では表紙側の方に著者略歴がある。内容も簡潔で、コメント的なものもないが、好きな作家として星新一と司馬遼太郎を挙げている。これは一体……?
という最初の違和感は、本文を読み始めてすぐに納得する。星新一がごときショートショートを積み重ねて、司馬遼太郎がごとき壮大な歴史観を披露するといわけだ……多分。表紙の女の子は数十のエピソードのうちのほんの数編にしか出ておらず、主人公は人類全体、そしてゾンビと呼称される人類の変異種全体が数百年のスパンで悲喜交々を描き出す。しかし表紙の女の子、読み終えてあらためて見るとだいぶカワイイな……不気味に思えた紅い目や牙も、じわじわと魅力的に見えてきた。
一編一編はほんとにシンプルで、意味が解るとナントカする話的なギミックは少なく、その時代その時代の何気ない日常、時代によっては混迷の渦に包まれた何気だらけの日常が短く描かれる。人類ゾンビ化に隠された壮大な秘密や、ゾンビ化現象を利用して怪しい陰謀を企む裏勢力などもなく、少なくとも描かれず、しかしそれでも戦争や虐殺や滅亡が巻き起こり、人類が着々と衰退しつつも、とは言えひとりひとりは概ね未来に希望を抱いて今を生きていくという、ゾンビものとしては異様にポジティブな作品。まあ、「感染」っていう一番重要なファクターがこのゾンビには欠けてるから、そもそもそう呼んでるだけで全然ゾンビじゃないじゃん、と思わなくもない。知性もそのまま、肉体にいたってはより頑強になっている。ゾンビっていうかニンジャでは?
否、「感染」はしている。そう、連綿と続く明日を願う思い、それらは人種や生命の壁さえ越えて、ひとびとの間を渡り歩いている……のだ。月並みではある。しかし突発的で特異な変化など、およそ1000年と持たずに歴史から瞬いて消えてしまうということは、本作が示した通り。日々の生活が大切なんだね……って言ってたら、なんだか一周して「生活」が特別なことに見えてきたな。推し活とかアイカツとか終活とかの延長としての「生きる」活動、生活。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?