12/1 『罪の声』を観た

面白かった。実際にあった事件をモチーフにしているということだがあんまりその辺はよく知らずに観る。
星野源の捜査手腕というか、手がかりから手がかりへと次々に真実を嗅ぎ分けてく能力がすさまじくちょっと可笑しかった。テーラーとは別の才能だろう……いやそれとも、「お客様にぴったりのスーツを仕立てあげる」という仕事の性質上、事件の謎に得られた手がかりがぴったりと合致するような筋道を見つけ出す能力が身についていたとか。考えすぎか。
小栗旬の方は小栗旬の方で、最初こそ燻っていたものの、本気になるとめちゃめちゃテキパキと動くし、あちこち駆け回る行動力の鬼で、まあいいコンビぶりを見せる。過去を語って絆を深めあうシーンもまー微笑ましい。
だがそうして力を二人の力を合わせて辿り着いた真実、声を使われた3人の子供の残り2人の人生の転落ぶりは、何の容赦もなく厳しいもので大変辛い。何が辛いって、事件をきっかけに訪れたその地獄の日々は、別に誰の意図や思惑も存在してないというのが辛い。壮大な計画の歯車の一つとして利用され、その計画が破綻した余波で弾かれると、そのままなすすべなく地獄の日々へと転げ落ちていったのだ。けれどそこには何の目的もなく、関心もなく、それゆえに赦しもない。結局のところ、そうやって見放されたことが彼らの人生を破壊した。事件の犯人たちからだけでなく、世の中のすべてから見放されたことで。
よく「ただの悪人よりも自分を正義と信じて疑わない奴の方がよっぽどタチが悪い」みたいな言い分があり、事件の犯人の一部もその手のクチだったわけだけれど……しかし真に問題なのは、正義だ悪だというような信念そのものより、それをいつかどこかで見放してしまう、終いには手放してしまうってことなんじゃないか。学生時代に奮い起つ思いに突き動かされ運動に入れ込むも、やがては平穏を求めてひっそり暮らすように。権力を憎んで一矢報いんと謀略を画策するも、結局は遠く離れた地で郷愁に身を浸しながら枯れていくように。記者という仕事は、そうやってあらゆる物事を見放していく人々に、真実を見せつける仕事でもあるのだろう。

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