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4/2 『ぼくらの悪魔教師』を読んだ

新学期も始まったことだし、10ヶ月ほど空けていた「月1ぼくら」の催しを再開。いよいよ初めて読む徳間文庫の『ぼくら』だ。これまでの角川文庫で出ていたものは、忘れていたところも多々あったけど概ねかつて読んだことのあるものだったが、これ以後の徳間文庫から出ている7冊は未体験の領域。この7冊を読んでしまえばいよいよ本当に『ぼくら』が終わってしまう、英治たちとお別れしてしまうと思うと、わりとマジで胸がざわざわとしてきてしまう。いやまあ、現在でも角川つばさ文庫から中学時代の新作書き下ろしが出ているので、そちらもそちらで楽しんでいく所存だけど。
胸を躍らせつつ読み始め、すぐ出てきた英治の風貌にびっくり。風貌というか、年齢だ。ぼかされていたが、だいたい30~40あたり、おそらく半ばくらい……とすると、ちょうど今の自分と同じくらい。前作では教師になりたてだったから、そこからおよそ10年ほど経過しているとみてよいだろうか。このシリーズ再読を始めてから、「ぼくら」の年齢をすっかり追い抜いてしまって、大人たちの視点から彼らの活躍を眺めていたが、ここに来て再び英治たちと同世代になれたことに、嬉しさを感じる。これまでも普通に楽しく読んできたけど、あらためて再読してきて良かった。
一方で、本作が刊行された2002年、当時の自分は中学生であり、英治が教える子どもたちと同世代ということになる。もし刊行当時にこれを見つけて読んでいたら、果たしてどういう気持ちを得ていただろうか、そんなことも考えつつ読んでいった。
学生時代にヤンチャして大人を困らせてばかりいたやつが、その後教師となって子どもたちを教え導く……というと、まあ『GTO』ではある。ただしこの「悪魔教師」となった菊地英治の思想は鬼塚英吉よりもいくらか過激で、かつて自分たちを抑圧していた教師たち同様、いやそれらをも遥かに超えるデビルとなって子どもたちを地獄に突き落とし、己に立ち向かわんとする意志をもって、ばらばらで薄い繋がりしか持たぬ子どもたちの間に確かな団結を作り出そうとするというものだった。鬼塚英吉というよりルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだった。いったい前作から本作までの間に何があったのか。
もっとも何か変節するような出来事があったというわけではなく、あくまで英治は英治として、己の教師道を突き進んだ果てにこの姿にたどり着いたらしい。いやはや恐れ入る。正直舐めてた。教師となった菊地英治が、こういうかたちで子どもたちとしのぎを削りあっていたとは予想だにしなかった。
そしてそのルーツが『ぼくらのデスマッチ』のサナダ虫……真田先生にあったという事実に、ふたたび感じ入った。なんとなく、うすうす感じてはいたけど、やっぱり!という感じ。『デスマッチ』はシリーズの中でも印象深く好きな話なので、ここに来て再びその名前が出てきたのは胸熱だ。
実際のところ英治のやり方が、荒れたクラス、キレる子どもたち、いじめ問題にどれだけ効果的なのかは疑問だし、英治自身確信があってやってるわけではないとのことだけど、まあ実効性を求めて物語を読んでるわけではなし、「英治はこのやり方を選び、そしてこれからもやり続ける」ということにワクワクできれば、これ以上の歓びはない。
出番は少なかったけどかつての「ぼくら」メンバーの活躍も見れて満足。ただ、純子が急に巨乳を前面に押し出されてたのが気になったが……いや、俺も純子はきっと巨乳になるだろうなと思っていたのですんなり受け容れられたが……なんだろう。徳間文庫ってそういう感じなの?
他にも安永と久美子のいいご夫婦ぶりににっこりしたり、新たな老婆キャラの登場にこの街にまだこんな業物が潜んでいやがったかと慄いたりしたはいいものの、相原やひとみについては全然出てこなかったことが気になったりもした。相原はアメリカに行ってるから仕方ないとしても、ひとみはどうなったのか。どうやら次巻では出てくるようなので、徳間文庫版は純子ルートだったみたいなことではないようだ。『ぼくら』シリーズファイナルシーズン、これから7か月、楽しませてもらえそうだ。

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