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9/12 『BEATLESS 下』を読んだ

文章が随分とっつきやすくなったなと上巻では思ったけど、気がつけばまたとっつきにくくなっていて、なかなか読むのが難航した。同じような説明が何度も出てきて混乱するような、難しい話なので何度も説明してもらえるのは助かるような。さらには地の文と台詞文が乖離しているというか、それぞれべっこに進行しているような、視点の高度が頻繁に上下しているような感じで、うまくノれれば一気に理解できて良さげなんだろうけど、ちょっと俺には……情報の凝縮力が強すぎて、紐解くには握力が不足しがちだった。厳しいぜ。
とはいえ別に楽しめなかったということもなく。特に今回たまたま『PSYCHO-PASS』とシンクロする部分を見出しながら読むということができていたし。レイシアが使った経済による世界の操作というのも、つまりビフロストじゃん、とか思って楽しかったし。
アナログハックや「かたち」の話に関しては、やはり十全に理解したとはとても言えない。まあそんな簡単に理解できるものなら、ここまで強力な概念として作中でも用いられている筈もなく、きっとこれからも他作品とか今後の現実とかで、折に触れて連想しながら、少しずつ掴んでいけたらいいだろう。
アラトとダブル主人公的な立ち位置だったリョウだが、アラトが早々に人間の世界から半歩踏み出してしまったから、リョウが人間の可能性の先端で踏ん張る役割を背負うことになっていて哀れだった。先端に立っているので、人間のひどい部分も見なければならない。「それでも俺は、人間の可能性を信じる」とか言ったら完全に主人公の台詞なんだけど、残念ながら人工知能がシンギュラリティを突破しているこの世界では、人間だけ信じているのでは足りないのだった。
そしてヒギンズ。人間の行動を、操作できない「レベル0」として扱うというのは、アラトやアナログハックを受けた人間が、こころを持たないモノに対してそれでも何かを見出してしまうことと対称になっているようで面白かった。最後にヒギンズは世界と繋がって、クラウドの中心の空白を見て何事かを悟ったようだけども、それ以前に既に、自身のシミュレートする人間の中に空白を見ていたのではないか。
いや、それともあるいは。アラトとレイシアが至った結論、「人間とは人と道具の一ユニットのことである」というのに照らし合わせれば、人間が道具に仕事を委託するように、道具は人間に「こころ」の在り方を委託する。「こころ」の正体は人間にも空白としてしか認識できないものだけど、それを0ではなく空白として認識することが、人間が「こころ」を請け負える証なのかもしれない。
あとがきでも言われていたけど、AI技術が発達し続け、それに伴う人間のAIに対する意識も加速的に変容し続けている現在、いま最も読むたびに抱く印象がコロコロ変わる作品だったろう。いつかまた読み返したときに、どう印象が変わるか、楽しみでもある。面白かった。

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