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5/9 『怪人デスマーチの退転』を読んだ

なんだかこのシリーズは既存シリーズとはやや毛色が違うな、と思うのだった。なんというか、否定力が強い……自己評価の低い主人公というのは、そらもう戯言遣いやら阿良々木くんやら、沢山いるんだけれども、それらともちょっと違って、自己肯定力はあるけど生き方として否定的っていうか。前巻でも若干感じていたことではあったけど、それは令和の時代に怪盗モノをやるという設定からくる、自虐的な諧謔のようなものだと思っていたが、今巻での描写をみるに、ちょっと諧謔の域を越えているように思える。何故なら父親の生き方を否定する道足くんの生き方もまた、弟によって否定されているからだ。道足くんの無意識的な傲慢さとかも批判されたりするし、父殺しというポワレの目的も含め、「生き方の否定」というのがテーマになっているのだろうか。であるとするなら、それはこれまでの西尾維新作品で繰り返し語られてきた「どんな異常な生き方や、しっちゃかめっちゃかな人生でも、幸せになっていけないことはない」というテーマの先、あるいはアンチテーゼと成りうるのではないか。怪盗という常ならぬ生き方の父によって育てられた息子が、その生き方を知り、そんな犯罪者に育てられてしまったことを後悔し、それを否定するための人生を歩む。「普通じゃない人生だけど普通じゃないまま幸せになったよ!」の先の、「与えられた幸せは普通じゃなかったんだけど、この人生どうすりゃいいのよ?」というような……解釈が先走り過ぎだろうか。ウルトラ探偵の活躍や、一巻に一人は登場する口癖どないなっとんねんキャラクターによって空気が緩和されてるきらいはあるが、西尾維新史においても本シリーズは非常にサスペンスフルなシリーズなのではと、ちょっと襟を正したのだった。
とそんなことを考えていたところへの、ふらのの言葉が来たのでもはやサスペンスを越えてホラーに突入していたかもしれない。こわっ。実のところふらのは正気に戻っていて、兄二人を欺くべく5歳児のふりをしてたんじゃないかとは考えていたけど、それ以上のおぞましい何かが眠っているのか。
今作の看板であった怪人デスマーチ、今回の登場は、なんかよかった。怪盗よりも怪盗的な立ち居振る舞い。そして探偵よりも先に事件の真相に辿り着いてるし、パートナーともども怪人としての目的も果たした……なかなかに無敵だな。タイトル看板背負うだけの働きはしているが、看板通りの退転ではない。絶賛行軍中じゃないか。
ウルトラ探偵も、今回は活躍が増えててよかった。ちゃんと?謎解きもしていたし。それに、二代目フラヌールの正体にも感づいているようなのが失礼ながら意外だった。これは本当に二代目フラヌールをギロチン送りにしてしまうのではないだろうか。でも、ていうか、ギロチン送りって何?
そして今回の犯人、まさに前述の「生き方の否定」をごりごりに煮詰めたような人物像だったが……それでいてしかし、選んだ結末は「しっかりお勤めを果たしたあと、将来、幸せになります」とは。どう捉えるべきかしら。
次巻でこのシリーズは一区切りとのことで、こんなに早く完結を迎えるシリーズは、これまた西尾維新作品としては異例といえる。いやまあ西尾維新作品なので、次巻の巻末ページをめくって見るまで油断はできないが。最初に見たときは愉快なタイトルに思えた『怪傑レディ・フラヌール』、今となってはもう不穏な気配しか感じられない。ゾクゾクして待とう。

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