5/31 『死刑にいたる病』を観た

原作未読、前情報もあんまり入れずに観たが……最後にゾっとくるタイプのオチだった! グワーッ!
そりゃあんまり後味の良い結末にはならんだろうことも予想して覚悟してはいたけど、なんかこれは思ってたのと違う……後味悪いというより後肌寒い。味覚より肌感覚に刺さってくるタイプの観後感。上映終わって照明ついたときの劇場の空気よ。そういえば前情報入れないながらも、原作小説の作者はホラーミステリ作家だったな……ハヤカワから出てるからって安心すべきではなかった。

冒頭のグロいシーンはああそりゃ白石和彌監督作品だしそういうのあるわな、って我慢して観たけど、別に観たくなけりゃ観なくてもいいかもしれない。ただ白石監督作品の暴力シーンのほんとにキツいところは直接的な肉体損壊描写よりもその直前の肉体を拘束してああもう逃げ場がない、抵抗できない、みたいなことを強制的に理解させるようなシーンだったりする。目を覆っても脳裏に描かれてしまい逆に怖い、見せるならさっさと見せてほしい、と思うような絶妙な間がある。嫌だなあ。
主人公が殺人鬼に親しみを覚えてしまうくだり、結局は心の隙に付け込まれてしまったということでしかないんだけど、しかし悪魔に付け入らせる隙間を生んでしまうほど心を歪めさせているのは何かって言ったら、それは殺人鬼とは関係ないこの世の中のあらゆるものとあらゆる人であり、地獄はどこにでもあるよなーと気が滅入ってしまった。そもそもこの作品、付き合いたい人間が一人も出てこない。癒しになる要素が一つもなく、ひたすら気が滅入るのみ。ゆいいつ、しいて言うなら、主人公が同期の子とヤッた後、すごいかっこつけて窓の外を見つめてたとこがちょっと可笑しかったくらいだが……その直前の暴力衝動ふくめ、ひたすら衝動に掻き立てられてたくせに、何を凛々しい顔立ちで物憂げにしているんだと。賢者タイムともちょっと違うだろと。

殺人鬼の最後の犯行がお粗末なものだったこと、なぜ逮捕されるに至ったか、ということは明言はされておらずこちらの想像に委ねるかたちだったが、そこで想像を働かせてみるなら、おそらく「殺人鬼であることに疲れたから」というようなものではないかと思う。加齢により手際が悪くなっていった、ということもあるかもしれないが、何より精神が疲れ、老い、倦んだのではないか……それは彼が常識から逸脱したパス野郎であるかどうかにかかわらず、人間の精神なら当たり前に生じうる反応だろう。あるいは主人公が突発的に暴力衝動に襲われたように、彼もまた突発的に「もうやめたい」という衝動に襲われたのかもしれない。序盤の公判シーンでの「やり直せるならもっとうまくやる」だの、「あんなお粗末な手口は自分のものではない」だのというのも、自身の衰えや一時の気の迷いを認めたくないがゆえの発言だったようにも思える。あの冒頭のシーン、実は作中でもっとも偽りなく本音を言っていたんじゃないかな。

そしてオチである。なんか形だけ見るならよくあるパニックホラーもののオチなんだよな。おぞましい怪物をようやく倒したと思ったらまだ仲間が全然いて、主人公の顔アップで終わるみたいな。
ただここでタイトルの意味がわかるんだけど、真に恐るべきは殺人鬼という怪物そのものではなく、そいつが操る、そしてもしかしたらそいつ自身も罹っていたかもしれない「病」だった、という話だったんだな。名前もない、原因も定かでない、ひとつ末路だけが示されている病。病であるがゆえに、そいつ自身の異常な精神だとか、あるいは血筋だとかも関係なく、どこの誰にでも罹る危険性がある。それでも「病」であるなら……主人公が殺人鬼との対話の中で多少なりとも彼の病理を解き明かしたように、彼女の精神も手遅れにいたる前に処置する余地もあるかもしれない。そのへんはケア頑張ってね……でも無理そうなら逃げてね、と控えめに主人公を応援するにとどめておこう。

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