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4/28 『笑って人類!』を読んだ

太田光の小説を読んだことは今までなかった。ラジオは毎週聴いてるし、時事にまつわるエッセイ本などはちょくちょく読んでるのに、過去に出た小説作品2作のことも知りながらスルーしていたのは、お笑いとして見ていた相手を小説家として見ることにある種の抵抗というか、障壁があったからだ。上下や軽重の違いがあるのではない。同じエンタメとして認識しつつも、相対してるときに使っている回路が違う、とでも言おうか。逆もまた然りで、小説家やそっち方面の人にお笑いを語られるのにも抵抗があったりする。別に本を読む人だってお笑いは観るだろうにねえ。俺自身がそうしてるのだから、誰だってそうしているだろうに。これは完全に自分の脳内での仕切りの問題でしかないってことはわかっている。
それにそんなことを言いつつ、別に今まで芸人の書いた小説を一切読んでこなかったわけではない……内村光良や加賀翔、岩崎う大の小説作品などはしれっと読んでるし、ちゃんと楽しめていた。だからやっぱり、太田光の書いた小説ってところで躊躇していたのだ。なんでだろうな、なまじ太田さんが芸人の中でも小説という分野に近い人だったから、というのがあったのかな。不気味の谷効果……というより、不気味の谷に落ちるのではないかと恐れる心理が、あった。おそらくピース又吉の小説を読めていないのも同じ理由だと思う。
ではなぜ今回、今作は手に取り、読む気になったかというと、特に何かあったわけじゃないけど、原稿用1200枚におよぶ大長編というのが一つの理由ではあったかもしれない。本にして532ページ。その分厚さ、長大さならば、自分がこの胸にいだくその種の抵抗感をぶち抜いてくれるかも、物語の重みで圧し潰してくれるかもという期待があった。昔から鈍器とか言われるような分厚い本に対しては、なんかこう、その質量で自分の中の冷たく凝ってしまった部分をどうにかしてくれるのではないかという、期待というか、希望のようなものがあった。これまた自分の脳内における位置づけの話でしかないが。幻想には幻想で、錯覚には錯覚で対処させるというかたちだ。

さてこうしてぐだぐだととりとめのない前置きをむやみに並べ立てて、実際読んでみてどうだったかというと、これが面白かった。いやよかったー! 面白くてよかった!
まず驚いたのは、これがSF小説だということ。今よりだいたい100年後の未来……あくまでこの現実の地球と限りなく近しい惑星と文明の100年後という設定のようだが、そんな世界が、掛け値なしに滅亡するか否かという問題に人々が立ち向かう一大スペクタクルであった。さすがに爆笑問題の太田光からこういう物語が出てくるのは想像してなかった。もしかしたら過去の小説2作を読んでたらそれも想像できていたのかもしれないが。
メインとなるのは日本を模した弱小国の歴代最低支持率総理大臣とその秘書たちで、揃いも揃ってオッサンばかりだが、程よくお茶目かつ、程よく尊敬できない。このキャラクターらを含む世界観のリアリティラインには、んなアホなってところもあれば、まあそうさなってところもあり、だんだん味わい深くなってくる。細かく考えるよりは、とりあえず現実とそう変わらない中にところどころ珍妙な部分がある、といった風に考えればよいか。あたかもなんてことない時事や世間の話をしてたら急に突飛なボケが差し込まれる漫才のように。とは言え、作中にしつこいくらいに描写されるタバコのパッケージは、さすがに突飛が過ぎて出てくるたびに面食らったけど。あれは何なんだ一体。
そして政治家パートと別軸で描かれる、子どもたちのパートもとても良かった。いじめる方の嫌らしさも、いじめられる方の憎たらしさも、どちらも癒えぬ悲しみをどうにかしたくて、しかしどうする術も見つけられずに歪な形で発散するしかない有様、その息苦しさがひしひしと感じられた。二人の和解……あるいは停戦か……は、そんなあっさりするもんなのかと思いつつ、しかし「もう俺はこんなこと、苦しい」という言葉は本音だと思えた。そしてそれからの子どもたちだけの計画は『ぼくら』シリーズのそれにも通じ、胸を熱くさせる。しかしただ不気味なだけに思えた、死んだ兄の魂を再現したという人形が、その真偽を明らかにせぬまま沈んでいったのは、どういう意図なのかわからないながらも、妙に印象に残る。あそこでアレをただのオモチャということにしなかったのは……その後に明かされるアンの真実を嘘にしないためか。
不満らしい不満もないが……しいて言うならば、ホワイト大統領、ブルタウにDr.パパゴ、あるいはローレンスやジョセフ、富士見興造など、世界平和もしくは己の理想とする世界の為に善も悪も呑み、正義も不義もなしてきた人たち、彼らが皆内心をほぼ語ることなく旧き世界の闇に消えていったので、彼らの心からの言葉も聞いてみたくはあった。ここまで偏っているとなると、あえて語っていないのかもしれないが。
しかしまあ、ああも敬して遠ざけていた芸人の、とりわけ太田光の小説に対し、むしろ逆にここが読みたいなんてことまで思えるようになったわけだから、その変化たるや著しい。読んでよかった。とても面白かった。

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