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4/6 『屍人荘の殺人』を読んだ

映画は公開当時に観ていた。

細部は忘れていたが、おおよそのあらすじなどは覚えていたので、それらを頭に浮かべつつ読んでいたから、状況や展開などはするすると呑み込めていった。映画との大きな違いは、登場人物の調整などを除けば、葉村くんの一人称視点で語られているということがやや驚きだった。キャラもちょっと違うし。ありていに言うなら、ラノベっぽい語り口だった。葉村くん自身はキャラ重視のライトミステリはお好きでないようだけど……それともツッコミ待ちだったのかな。
明智さんは、なんなら映画よりも活躍シーンが少ないことが意外だったけど、それでも葉村くんの語り口から親しみのほどは窺え、ゆえにその喪失の悲しみも映画のときと同じくらいのものを得られた。この短時間での親しみを醸成させんがための、葉村くんの一人称語りだったのかもしれない。
逆に映画ではわからなかったことは、ゾンビという群れの暴力、どうにもならない力の奔流が、震災の津波をモチーフとしていたということだった。意外ながらも、言われてみれば納得できないこともない。
それにしても、今作においてゾンビを新型ウイルスによる感染症、それによって(作中では人為的に)引き起こされたパンデミックと規定することによって、奇しくも2010年代の災害と、2020年代の災害を繋ぐような作品となっているのだな。まあ偶然というか意図も予想もしてないことであったろうから、必要以上に何かを読み取ろうとすべきではないけども。
比留子さんの動機、また何故探偵をやっているのかというところも映画では描かれてなかった筈(または忘れている)だが、これも意外なまでにどストレート。しかし冷静に考えてみればこちらの方がある意味当然な思考の流れではある。探偵が事件を引き寄せる、といった言説のその一歩先、まず事件を引き寄せるという運命があり、それを生き延びるために自らを探偵に落とし込んでいたという。そしてより完成された探偵となる為に、助手を欲した……なるほど切実だ。うん。3日目、2階南エリアまでゾンビに侵攻された朝以後、妙に葉村くんへの色仕掛けが多くなったのは、やはり葉村くんの「犯行」、引いては犯人との口裏合わせをいち早く察し、なりふり構っていられないと思ってのことだったのだろうか。その真意の先や顛末などは次作以降に持ち越しとなっていたので、ひとまずは固唾を吞んでおく。
そして黒幕である班目機関、冒頭にその正体が語られるというのもまた大胆だが、ただただ迷惑な存在でしかないな……影で暗躍というにはあまりにもビートが激しい。続刊では班目機関の足跡を追っていく展開だそうだが、こいつらに確固たる目的などあるのだろうか。単にこそこそやってきた研究の成果を手酷い形で公衆の面前に晒したい人達の集まりなんじゃないか。解説によれば毎作ごとに超自然的な要素を出していくらしく、どんどん世界がめちゃめちゃになって破綻していきそうなのを、ミステリの論理で強引に縛り上げてQEDし殺す話になっていくみたい。めちゃめちゃ大変そうだけど、めちゃめちゃ面白そう。追っかけていきたい。

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