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3/4 『ニューロマンサー』を読んだ

何年か前の誕生日に、古典名作SFを読んでみようということで買ったのだった。やれ難解だの文体がヤバイだのと評判を聞いて、そのたびに戦々恐々としてきたが、そうは言っても俺も今やニンジャスレイヤーの物理書籍を読破したしXやnoteの連載を現在も追い続けている身、たとえSF史に燦然と輝く難解さを誇っていようと、その後発作品を手がかりにして読み進めていけば、イケるのではないか。ほら早速さらりまんとかヤクザとかザイバツとか手裏剣とか出てきてる……イケるのではないか!?
……イケないー! 難しい! いや難しいっていうか……入ってこない! 入ってくるところもあるが……言ってることがわからない! 「え? 今のどういうこと? なんか言ったのはわかるが、意味の通ること言った……?」ってのがすごい頻繁に起こる! 気がつけば目がいつの間にか閉じている! そして目を開いてページに目を戻すと、さっき読んだところを読んでいる! そこも読んでるとは言っても意味がわかって読んでないから「ああ、ここはさっき読んでた意味わかんなかったところだ」と思ってまた目蓋が降りてくる! そしてまた目を開く……どんどん後退していく!
相変わらず翻訳文章が苦手すぎて、第一部を読んでもほとんどわかった気がしない。仕方なくウィキペディアであらすじを読んで「そういうことだったの!?」となるなどしてどうにか最低限の理解をすすり、じわじわとにじり寄るように読み進めていった。文章中にどういうつもりでこの単語を使ってるんだと思ったときは、原文ではどういう単語が使われてたのか想像しながら読むとちょっとわかるような気もしたが、気休めだったかもしれない。
何度も頭を抱えたが、それでも参考文献は役に立った……つまり、『ニンジャスレイヤー』は思ってた以上に本作を基礎としていたようだ。冒頭の千葉市チバシティだけじゃなく、忍殺で描かれていた様々な情景の原型と思しき景観がそこかしこに見られた。銀の浜辺とか、お辞儀するクローン忍者とか。何故かずっと持ち歩いていた手裏剣とか。『ニンジャスレイヤー』以外にも、戦争で負傷し治療され、暗黒メガコーポだかスーパーAIだかの尖兵となったアーミテジは『マルドゥック・アノニマス』のハンターをほうふつとさせて、この源流はここにも支流が注がれてたんだあと発見できる楽しさは確かにあった。この感覚は過去にも経験していて、たとえば上遠野浩平や西尾維新を読んだ後にジョジョを読んだときに得た驚きと興奮、あれと似ていた。こういうシナプスの繋がりを得ただけでも読んだ甲斐はあったと思うし、これを巡らせていけば、いずれ再読したときには今よりもっと面白く読むことができるようになっているだろう。そんな日が来ることを信じて、今はこの辛酸を嘗める。いや、苦痛ばかりだったわけではないけども。でも第四部の最後あたりはほんとに失神するかと、いやあれはマジで寝ちゃったのではなく失神してたんじゃないのか……? と思えるレベルだったけど。それでも結尾のラストシーン、人類を超越して遥か彼方に行ってしまったのに最終的にものすごくノスタルジックになるのとか、それまでのニューロンダメージとの落差が温冷交代浴並に激しくて、思わずととのってしまいそうだった。得難い体験……であったことは、きっと間違いない。

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