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3/18 『エンタングル:ガール』を読んだ

TVアニメ『ゼーガペイン』にて繰り返される舞浜の夏は、作中では2022年の夏という設定だったらしい。いつの間にか我々はあの夏を突破していたとは。
本作の舞台は時系列的には――『ゼーガペイン』という作品においてそれがもっとも難しい問題かもしれないが――TVアニメで描かれる、その一つ前のループということになるのだろうか。もしくはそれ以前に繰り返されてきたいくつものループの一つか。ひょっとしたら、章と章とでも別のループだったのかもしれない。ちょっと不自然に思うくらい章やイベント事が細切れにされていて、各章冒頭の映画用語紹介でいうところの【ショット】のようだと思ったが、実は異なるループのもようが継ぎ接ぎされていたのかもしれない。だから何かと言うとあれだけど……。
登場人物でアニメには出てこなかった人たちも、みなキャラが濃い。銀髪の国際数学オリンピック優勝少女……? そんなもの一体どこに隠していたのか。こうまで濃いと、サーバーに保存された人格ってやっぱ優秀なものを選別してたのだろうか。厳しい現実。
劇場版の方は観ていなかったので、TVアニメでは存在が示唆されていただけだった河能亨の人格や他のキャラとの関係性などは本作で初めて知ったが、了子とかなりいいところまでいきかけているとは、なかなかの冒険だ。本編のサイドエピソード的な作品で、ヒロインと恋愛関係を築きかけるとか、ともすると観客を怒らせかねない。まあそれも本編以前のループだし、そもそも本編主人公たる京はといえばこのときは紫雫乃と付き合っていたわけで、今回の了子は河能とより心を通わすルートだったという、『ゼーガペイン』ならではの解釈も可能か。本編においてだってキョウがシズノではなくリョーコを選んだのもまた、量子が織り成す不確定性原理の一面であったに過ぎない。
リョーコならぬ了子は映画製作を通して世界のほころびを見つけ出し、やがて世界の真実に直面するが、もし『ゼーガペイン』を知らずにいきなり本作から読み始めた人がこの真実に直面したら、いったいどういう感想を得るのだろう……そればかりは、既にTVアニメを観測してしまったこの身では知ることはできない。が、あまりにあっけらかんと開示されるし、謎が全て解けたというような爽快感、解放感とはいかないんじゃないか。それこそ世界がばらばらに崩れ落ちていくような感覚ではないのかな。だがまさしくそんな感覚を味わったであろう了子は、それでも映画を撮ることをやめなかった。守凪了子は映画監督になれない、しかし映画を撮ることはできる。
ラスト……の後、ポストクレジットシーンは、これまたちょっと急に難しくなった。世界の外の外、あるいは世界の裏側のような、おわりとはじまりがエンタングルしているとでもいうような……なんなのだろう。なんと今年には『ゼーガペイン』の新作が劇場公開されるというから、それを観たらまたわかるかもしれない。あるいは2006年に制作されていながら、今に至る多くの技術を予見していたこの作品のこと、今後十数年の未来を示唆するものであるのかも。希望か絶望か、不確定の明日に君もエンタングル。

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