2/19 『パラサイト 半地下の家族』を観た

面白かった。
「半地下って何?」というくらい何も情報入れずに何か賞獲ったらしい、評判もいいらしい、ということで見てみた今作。まさか文字通りの「半地下」とは。そういう家が韓国にはあるんだね、と思うとともに、半地下で生きる家族が、人を欺いて「上」に行こうとしたが、半ではない本物の「地下」に触れてしまい破滅に追いやられてしまうという……なんとも絶好のモチーフがあるものだ。
そしてモチーフというなら、「階段を降りて笑う」という『ジョーカー』で最も印象的なあのモチーフがここにも出てくるとは、と因果なものを感じた。源流に共通の何かがあるのか、それとも現在進行形で起きている貧困と社会の相克から必然的に同じものが抽出されてきたのか。ついでにいうと大雨で家が水没するシーンも『天気の子』に通じるが、それはさすがに共通のモチーフとは言えないか? でも『天気の子』ラストで沈んだ東京でも、ああいう目に遭った人とかいたんだろうな、とか思ったり。

思い返してみて、つくづくひどいなと思うのは、救いと呼べるものが作中のどこにもないことだった。それでいて不条理はない……かなり難しいとはいえ「あり得る」、と思える。
救いがないというのは、グッドエンディングではない、という意味ではなく、救いとなる意志が無い、ということだ。救いに向かう意志というか。救おうとするものがどこにもない。いない。
この手の作品はそう簡単に答えが出せるようには出来てないんだよ、とは思いつつも、「何が(誰が)悪かったのか」ということを考えずにはいられないのだが、今作に関しては悪かった要因を言うだけなら簡単ではある。誰が悪いのかといったら、それはもう、悪いことをした人が悪い。金持ち家族に寄生しようとした詐欺師家族、既に寄生していた家政婦夫婦。そして、そうした彼らの悪意はもちろん、悪意を持つに至った、悪事を働くに至った彼らの履歴に気づくことができなかった金持ち家族もまた悪かった。
詐欺師家族や、家政婦たちは悪かったのか? もちろん悪かった。人の良い金持ち家族たちを騙そうとしたのだから。長年欺き続けていたのだから。
だが、そうやって「悪いことをしたのだから悪い。以上」と言って終わらせてしまうことは悪とは言えないのか? 悪の領域に踏み入ってしまった、そうせざるを得なかった人達に手を差し伸べられないこの世界は悪くないのか? 悪に染まることを自己責任であるとするなら、そんな悪を傍に置いてしまったこともまた自己責任であり悪であるのではないか? ひいてはそんな悪を生んでしまったこの世界は? ……あまりにも荒唐無稽な問いではあるが。
最後、詐欺家族の息子は確固たる「計画」を抱いて幕を閉じる。描く理想はしかしほとんど妄想に近く、それを希望と呼ぶには、やはり孤独に過ぎる。妹が死んでしまったのもその強調のように見えた。

……とまあめちゃめちゃ暗い感想になってしまったが、可笑しみのあるところもほどよく散りばめられていて、いくらか緩和剤として助かった。家政婦さんの北朝鮮ギャグとか。さすが4年間独りで金持ち家族を欺き続けてきただけあってエスプリが詐欺家族たちの比じゃない。ていうか韓国人もあのニュースの口調おちょくるのな!

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