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12/6 『身分帳』を読んだ

映画『すばらしき世界』を観て感動し、劇場を出たその足ですぐさま下階の書店に赴き購入した原作小説。その文体は映画の雰囲気とよく似ていて、結構間が空いたにもかかわらず映画の記憶がするすると浮上してきて、思い起こしつつ面白く読めた。

小説の主人公である山川の年齢は45歳で、映画の主人公である三上は役所広司が演じているのだし、もうちょっと歳上の感じで描かれていたような気がする。でももう頭の中では役所広司のイメージしか描けなかった。特に違和感はなかった。時代設定も昭和61年でこれも映画とは違ったはずだが、そこについても違和を覚えるようなことはなかった。映画が時代背景などを変えつつも、原作小説の雰囲気にかなり忠実に作られていたことがうかがえる。また、映画はTVディレクターの青年の視点が入っていたが、小説は山川の視点で描かれている。関係を持つ人に、基本丁寧に、殊勝な態度で接するけどなかなか心を開くことはなく、ムショ上がり、前科者という経歴にどういう視線を向けるか、注視していた様子が見て取れる。
山川の来歴を語るときに、昭和戦後史の事件や話題などと並べて語られたり、また生活描写でお昼に「笑っていいとも」を観ていたりなどするところは、昭和の空気が感じられてしみじみした。同時に、この人が実際にこの当時を生きていたんだなあとも思わせる。
出所後の生活を描くのと並行して、しばしば「身分帳」の記述が合間に挿まれ、そこで山川がどんな人生を辿ってきたか、服役中にどんな行動を起こしてきたかなどが明らかになっていく。この辺は映画とはまったく異なる見せ方だから、幾分かの新鮮さと共にとても興味深く読んでいった。山川さん、実は相当裁判を戦っていることがわかったり。短期で喧嘩っ早いのに、裁判や不服申し立てやら、手続きばかりで気の遠くなる戦いを執念深く続けている。こんな根詰め具合だから血圧もどんどん上がっていってしまったのではないかと思える。暴力と法廷の二本柱の小説……などというと『マルドゥック・アノニマス』を思い起こす。先駆けていたのだな。
たびたび周囲と揉めながらも、社会復帰に向けて奮闘する様は映画と同じく思わず入れ込みたくなる。そこに加えて、山川本人視点で描かれるから、たとえばカッとなって怒鳴ってしまったらその直後にはもう怒鳴ってしまったことを後悔して自己嫌悪に陥っていたりなどするところは、己自身にも大いに当てはまるところがあり……怒鳴ったりはしないけども……共感を誘う。身につまされるが、身につまされるという事実そのものが痛い。
そんななかで、ケースワーカーの井口が山川にお見合いを勧めたときに言った言葉が印象に残った。いわく、山川は何にでも真剣に向き合い過ぎる、もっと自分に必要な大切なものを限定して、それ以外は切り捨てるような生き方をしろと。それに対し山川はいい加減に生きろというのかと返すのだが、この井口の言い分もわかるなと思ってしまった。また同時に、山川の生き方にも。孤児として育ち、幼少期から常に流浪して、特定の誰かと強く長らくつながることがなかったために、人間の取捨選択というものをせずどんな人にも、どんなことにも真剣で全体重を傾けるようになっていたのだとしたら。そうせねば生きてこれなかったのだろうけど、そうしなくても生きていける場面でもそうしていた結果、力加減を誤って確執を生じさせていたのではないだろうかと。
ふと思い出したのは『ヴィンランド・サガ』で、作中の神父が「愛とは差別だ」と言うのだが、であれば愛されずに育つとはどういうことなのか……愛を知らずに育ち、誰かを愛することなく社会と接する人の姿が山川なのだとしたら……とか考えると、なんかこう、どうしたものか。
その後もうまくいかないときは徹底してうまくいかず、上り調子の時は上首尾に進んでゆくなどして、どんどん山川の生きる先が気になっていったところで、しかし小説『身分帳』は、唐突に終わってしまう。あんまりよくない流れで福岡へ引っ越すことになって、さあどうなるというところで途切れ、そして続く『行路病死人』において、福岡で山川……のモデルとなった人物である「田村氏」が死んでいるところが発見されるという記述に接するので、ええーーっという気分になった。いやまあ、映画でもそのような流れであったので、知っていたっちゃ知っていたのだが……その唐突さは、まさに映画において三上の死を知らされた青年ディレクターの心境にも似て、奇しくもその流れを踏襲してしまった。
『行路病死人』は小説ではなく、そのモデルとなった田村氏の最期を記したものではあるのだが、まあこの流れじゃ分けては見れないよ。いちおう田村氏は、福岡に移った後も約4年はそこで生活していたわけだが、なんというか、どう捉えたものか。死は唐突だよなあとか、既にこれを書いた作者でさえ亡くなっており、そうかそういえばこれはもう過去なんだとか、あまりにも小説から現実へダイレクトに移行するから戸惑うよとか、でもそもそも実在の人物をモデルにした小説なんだもんなとか。容易にはまとめられず、それ故に容易には忘れられない作品、読書体験となった気もする。ともあれ、すばらしい映画を作ってくれ、その上で原作たる本書を復刊させて、読む機会を与えてくれた西川監督へは、二重に感謝を捧げたい。

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