11/4 『スパイの妻』を観た

面白かった。
結局のところ、夫は妻を裏切ったのだろうか。二人の間に愛はなかったのだろうか。おそらく「愛であり、裏切りであった」ということだったのだと思う。スパイ(ではない、と夫は言っていたが)の妻になることを選択した妻ならば、「大望」に殉じてくれるだろうというのが夫の思いで、それを理解したからこそ、妻も裏切られることをよしとした。そうすることで夫への愛に殉じた、あるいはそうすることでしか、夫の愛を感じることができなかった。裏切られることが愛だと信じることしか。
そんなのありかとも思うが、おそらくあの時代、あの世界、あの人々にとって、国家に殉じること、大望に殉じること、愛に殉じること、それらはみな等価だったのではないか。
果たして夫の為したことがアメリカを動かしたかどうかは定かではないが、結果としてアメリカは日本に攻め込み、日本は敗北した。国際正義の為に幾万もの自国民が焼かれることになる。それは妻も覚悟の上だった筈である。ただその犠牲の中に自身も入っていただけで。しかしそれとて本当は覚悟していた筈なのだ。甥っ子を犠牲にして夫の安全を得たあの時既に。自ら犠牲も払わずに大望が掴めようか、という言葉をそのまま返されたにすぎない。夫は獄中にいる甥っ子と離れ離れになっても強い繋がりを感じるという。であればこれで夫は自ら切り捨てた妻に、これまで以上に強い繋がりを感じている筈なのだ。だからやはり、この裏切りは愛なのだ。それを美しいとは言えないだろうが、そもそも、愛することと美しいこととは本来あまり関係ないものなのだろう。

演技の面では、蒼井優ってすげえんだなあとしみじみと思った。昭和初期の上流階級の女性のしゃべり方ってあんなんなのかよと最初はちょっと可笑しく思ったけど、そんなのはすぐに溶けて消えたし、高橋一生に耳元で「亡命だ」って言われたときのうっとり顔とか。

ラスト、終戦を迎え、妻は泣き叫んで蹲る。大望が果たされ、とうとうその手に何も残らなくなってしまったからだろうか。ただ、泣くという行為は、絶望するくらい悲しい現実に、それでも立ち向かって生きて行かねばならない、耐えてゆかねばならないことがわかっているから、それが辛いから泣くのである、と昔本で読んだことがある(例によって上遠野浩平である)。であればあの姿は、あのまま敗戦の国と共に絶望の海に沈むのではなく、立ち上がって生きていくための姿であるかもしれない。その先で果たして更なる悲しみを突き付けられるのか、自分が信じたものの正体を突き止めるのかはわからないが。

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