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4/13 『劇場版PSYCHO-PASS 』を読んだ

劇場版は公開時に映画館で1回観たきりであったので、ほどよく内容も忘れかかっており、脳内再生とのくらべっこをする必要はなく半分くらい新鮮な気持ちで読めた。ただ、1期ノベライズでも思ったことだが、場面転換や章の切り替わりが唐突で慣れない。やっぱり映像が先にある感じはするな―。ノベライズなんだからそうなんだけど。
あらためてストーリーを追ってみると、意外とそれほど複雑な話でもない。海外にシビュラシステムが輸出されて、見に行ってみると実は不正が横行しており、バレたので口封じされそうになったが、味方が駆けつけてきて形勢逆転……ざっくり言ってしまうとそういうことになる。悪いことがはっきりしているというか、正義とは何ぞやとか問うようなシーンは、最後の議長との会話シーンぐらいしかない。まあしかし、この世界における国外とはこんなものだよというのを作品内でちゃんと示すのがこの劇場版の役割でもあったのかも。正義とは何か、犯罪とは何か……そんな問いを立てられるのもすべては平和という前提があってこそ。そして今回のシビュラはその前提を敷きに来ていたと。
流浪の身となって、弾圧する治安機構に抵抗を繰り広げる側に立つ狡噛……作中でも言われていたけど、その姿は槙島を彷彿とさせるものがある。とはいえ、もし槙島が国外に出ていたとしても、ゲリラを統率する姿は想像できないんだけども。槙島がもしシビュラの無い世界に生きていたら……という想像はそれなりに楽しいものがある。犯罪係数がどうのなんてことそもそも取り沙汰されない世界。槙島は免罪体質であることで世界から疎外感を感じてたのではとか言われてたけど、じゃあどうして国外に出なかったのか、暴力が横行する世界に生きようとは思わなかったのだろうか……まあ、思わなかったんだろう。紙の本も無さそうだし。
今回の敵集団たる傭兵チーム、映画観たときは単にめちゃ強な傭兵集団だとしか思ってなかったけど、アジトで奴隷飼ってたり気ままにファック&サヨナラしてたりと、想像以上にゲス集団だった。ボスのルタガンダ言うところの「暴力の民間化」というのが、結局こんなものであるなら、ちょっと残念。せっかく学を身に着けても、人間の獣性を説明することにしか使わないんじゃあな。
そのルタガンダとの決戦において再会し、共闘した狡噛と宜野座。ほんのわずかな時間の邂逅であったものの、やはり感慨深い。言われてみれば確かに征陸の死に打ちひしがれてたあの時以来の再会だから、その変わり映えに驚いたことだろう。なんだかんだ一番キャラ変わってるからなギノ……「妥協を覚えた」程度でそうはならんやろってくらい。狡噛と征陸の合いの子と言えばよく聞こえるけど、二人に去られ取り残された者としてそのように背負っていかざるを得なかったと言うとまた意味合いも変わってくる。そりゃあんな捨て台詞も残す。まあしかし、3期でまたコンビを組むんだが。
宜野座は狡噛を「ただの悪党」と評したけど、確かにボーナストラックで、敵対してたとは言えいとも簡単に暗殺をしてた様とか見ると、そうなのかもなという気もしてくる。ルタガンダと決着をつけたのも、きわめて自己中心的な理由からだと自認してたし、彼の中の正義は、どんどん強固なものになっていったのだろう。国家に拠って立つ必要もなくなるくらいに。こうしてみると狡噛、あんまり心の底がよく見えないな……まるで槙島のように。3期では「仕事人」としてプロの振る舞いをしてたけど、そこに至るまでどういう思いがあったのか……もうひとつの劇場版短編も観たけど、もういちどおさらいが必要かもしれない。そちらのノベライズも読まなくては。
シャンバラフロートのその後はどうなったのか。結局選挙でシビュラの傀儡が当選したわけだが、それからどうなったのか、特に語られてないはず。単純にシビュラシステムの支配領域が拡大しただけなのか。日本から離れた地域で独自の発展なりあったりして、それが今後の展開にも関わってきたりしたら面白いなと思う。のれん分けされたシャンバラシビュラが日本シビュラに反旗を翻す!シビュラ対シビュラ南海大決戦!みたいな。

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