11/18 九岡望『地獄に祈れ。天に堕ちろ。』を読んだ

面白かった。
九岡望という作家はたぶん俺の何かを好きだと思う気持ちが少しずつ溢れ出ていたものが集まって実体化して小説家の姿をとったもの、あるいは俺と似た趣味の人の以下同文が集まって以下同文したものだと思うので、たぶん読んでて好きだったところを挙げていくだけでそれなりの感想文になる。
まずは年号。「霊破(れいわ)十一年」といきなり出てきて、今後いろんな作品で令和をもじった年号が出てくるんだろうけど、こいつよりインパクトある年号はなかなか出ないだろうなと思った。その他にも「東凶屠(とうきょうと)」だの「浅腐(あさくさ)」だのオモシロ地名が出てくる。や、十年前に死者が蘇る世界になり、東京が中でもその爆心地の一つであったのはいいとしても、だからってなんで地名までおどろおどろしくなるんだ……? 好きだけども。
主人公二人。ミソギは既に死者だし肉体的にもだいぶ人間から離れまくってるけどあいれるほどにお人ができていて、対するアッシュは、これはちょっとなかなかなヤバみ。しかし中盤からはうまいこと軟着した人柄がほどよく滲み出て好感が持てる。「言えよ。聞いててやるから」の台詞は好かった。なんていうか、「貸し借り無しだ」とかも何回か言っていたように、貸したり借りたりする関係であることを認めつつ、貸しっぱなしや借りっぱなしには絶対にしてやらないという意地が垣間見える……好い……。
バトルと武装。お話のテンションに合わせて武器や必殺技が段階的にスケールアップしていく盛り上げ力は作者のまさにお家芸といったところか。救済兵装はシュピーゲルシリーズめいたルビ芸が光ったし錠眼全開形態はスクライドじみて興奮のドアが開かれた。
ハイド戦。決着がミソギとアッシュ、互いのエモノを交換しての連撃なのが熱い。全力を出し切った上でのその時その状況においてしか発生しえない例外的フィニッシュムーブ、嫌いじゃないよいや好きだよ。
そして更にだ、これは俺も読み終えた後ぼんやり表紙を見てて気づいたことだけど、見てよ、そもそもタイトルの『地獄に祈れ。天に堕ちろ。』は二人のキメ台詞だが、表紙を見るとこれでは配置が逆だ。でもそれが期してか期せずしてか、この決着の伏線になっていたとしたら……! いや、さすがに偶然かとは思うが!

欲を言えば、地獄まわりのあれこれにもうちょっと理屈、いや屁理屈があるともっと好みだったかもしれない。そも地獄って何なんだとか。教会が天使を討伐しちゃってもいいのかとか。でもそれは次巻以降かな。次巻、出るかな? 出て欲しい。

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