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12/29 『図書館の魔女 第三巻』を読んだ

物語も後半に差し掛かった今頃になってようやくというか今更というべきか、文体というか、描写の具合にようやく慣れ親しんできた気がする。だって言葉とか難しいし……何を言っているのかを理解するので手いっぱいで、この物語がどういう物語なのか、登場人物たちは何の為に何を為そうとしているのかというとこまで頭が回っていなかった。あるいは、何を為そうとしているかはわかったけど、その為に何故これを言うのか、なんで今こんなことをしてるのかとかがわかってない、そのどっちかだった。今巻に至って、ようやくその両端に足を載せて踏ん張っていられる時間が、多少はあったように感じる。これはもう、1巻ごとに時間を空けてしまってるせいも大いにあっただろうな。あったと思いたい。積読本の読む順番リストに1冊ずつエントリーさせてしまっていたせいで。せめて1,2巻、3,4巻で分けときゃよかった。
ともあれそのようになってきたことで改めて、まぁ~文章表現が豊かだなあ~と感嘆したりしていた。そういう修辞表現を楽しむ余裕ができてきた、ってことか。朝の海原でトビウオが跳ねるだけの光景をあんなにワクワクする感じで述べ立てられるのだからすごいなあ、とか。
そしてそのように思えてきたからこそ、マツリカが呪いを受けて利き手を使用不能にされ、手話も手蹟も満足にできなくなってしまったことの悲しさがこちらにも伝わってきた。もし慣れ親しめてなかったらそれもピンとこなかったかと思うと、ギリギリ間に合ったと言える。イメージ的には、文字を書くのが下手になったり遅くなったりするというより、書いた文字が半分見えないとか、ちゃんと書いたつもりなのにところどころ欠けてるとか、そんな感じなのかな。あるいは、自分では大声でハキハキ喋ったつもりなのに耳を傾けられたり「もっとはっきり喋ってもらえます?」と言われる感じ、とか……これは俺の体験談だけど。別に何の不調も患ってないときの。もしそうなら、辛いよなあ……。
しかしそれにもめげずに敵の呪いの手掛かりを探り、さらに同時並行でニザマ帝との外交もこなす。外交戦ともいうべき帝とのやりとりは、この作品の本領発揮という感じでヒリヒリと楽しかった。『境界線上のホライゾン』を思い出す。
ところでこの作品の世界って、われわれの歴史と共通する部分があるのだろうか? 魔導書の講義あたりのところでようやく感づいたのだけど。ソロモンの智慧だとか、プトレマイオスだとかヒッパルコスだとか。言っても「われわれの世界を元にした架空の世界」的な感じだと思ってたのに、ニザマの宮殿にあった書の文章をググってみたら遣唐使がどうこうとあるし……? 冒頭に載っている作品の舞台となる地域の地図が、われわれの世界と全然違う(ように見えていた)から、まったく意識していなかった。果たしてこの物語はわれわれの歴史の中に息づいているものなのか、どこかの地点からパラレルな歴史を歩んだ世界なのか。最終巻を前にして新たなる興味も湧いてきて、俄然楽しみになってきた。読む順リストでまだ結構先にあるのでしばらくお預けだが、好奇の乾かぬうちに早く物語の結末を見届けたい。2巻のあの図の伏線もまだ忘れてないぞ!

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