3/30 『THE BATMAN-ザ・バットマン-』を観た
アメコミ映画というのは、日本のエンタメでいうところの時代劇とか、大河ドラマみたいな位置にあるように思う。ヒーローとそいつが持つ物語に対して時代に合わせて細かく改変・解釈して作品を作っていくあたりなんか。既存の作品とキャラクター像を比較して面白がったりできるとこなんかもそっくりだ。
俺がちゃんと観たバットマン作品なんて『ダークナイト』3部作と『ジョーカー』くらいだからたいして比較なんてできないけど、今作のバットマン像もとても良かった。まだ2年目ということで未熟さを描いてるそうだけど、お調子に乗ってるという感じではなく、なんかこう、仕事の大変さはしっかり身に沁みているものの仕事へはどんどんのめりこんでいく感じ、というものがある。戦い方も、『ダークナイト』では闇の武術的なものを修めていたが、こちらのバットマンはあんまりそういうのはなく、ケンカ殺法みたいな感じだ。そして防御はすべて金かけて作ったであろうスーツに任せて全然身を守ろうとしないあたりがヤバい。いやいくらなんでもスーツが頑丈すぎるだろ。銃はともかく爆弾が目の前で爆発して火傷も無いのはどうなってんだ。
あるいはその理不尽なまでに強いスーツはブルースの依存心への顕れなのかもしれない。だからバットマンの姿なら、警察相手にもガッツリ姿を見せられる。参照先が乏しいためにどうしても『ダークナイト』ばっかり引き合いに出してしまうが、犯罪者相手には夜闇に紛れて倒しに行くのに、警察相手だとふてぶてしいまでに大胆に姿を晒してるところが斬新だった。ついでに言うなら、それをなあなあで受け容れちゃってる警察も面白い。ゴードン警部の人徳ゆえか。それとも多様性を尊重してくれてるのだろうか。
最後、バットマンが灯火を掲げて人々を救助しに行くシーンは、他の人の感想などで「闇と同化して悪を恐怖させるだけの存在では足りなくて、希望の灯の光を人々に見せてやることが大切なのだ」と考えを変えたシーンなのだと言われてて成程と思ったが、ただマスコミに報道されてる姿など見るとこれじゃバットマンじゃなくてタイガーマスクになっちゃうなとか思ったり。でも、そうやって最初は闇を気取っていた奴が市民の希望のアイコンとなることは、今回の敵たるリドラーを筆頭にヴィランにとっては大層な裏切りに見えるかもしれない。「お前はこっち側の人間だろうに何を正義面してやがるんだこのコウモリ野郎」、とか。ここからまたシリーズが展開していくなら楽しみ。面白かった。
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