9/27 今野真二『漢字とカタカナとひらがな 日本語表記の歴史』を読んだ


難しかった。
はじめ、難しいな難しいなーと思いつつじっくり読んでたら、いつの間にかどこかにやって失くしちゃって、まあ難しかったしな、と諦めていたらある日不意に見つかり、挫折するいい言い訳が出来たと思ったのに見つかってしまったとなってはもう覚悟を決めるしかないと、分からないながらも無理矢理に読み進めていった。難しかった。大変だった。
だがおそらく、というか当たり前だが、本書を書き上げる大変さは読むことの大変さの比ではないだろう。日本語という言語を表記するための手段である漢字、カタカナ、ひらがなというものについて日本語を用いて説明することがどれだけ大変か。本文中に出てくるカギ括弧の数の多いこと。それほどまでに表記、表現に気を遣わなければ正しく説明することはできないのだろうとは思うが、それ故になかなか理解が進まず、言ってることの内容を呑み込む事すら難儀した。
最後らへんは取り扱う時代が現代に近づいてきたこともあってやや読み進める速度も上がって行ったが、それでも理解できたかというとだいぶ怪しい。私たちの日本語というのはまず漢字によって表記され、そこから漢字片仮名交じりになり、漢字平仮名交じりになっていったのだ、ということがなんとなくわかった程度だ。そしておそらくこれもそんなに正しくはない……。
でもしいていうなら、明治時代あたりの文献の、海外の著作を翻訳したものには、漢字に訓点(黒丸)や圏点(白丸)や傍線(右に引くのと左に引くのとで意味が違ったりする)でその語が何であるのか……固有名詞であるのか、役職名なのか、年号なのか……とかを示したり、漢語に片仮名で外来語の振仮名を振って、「この外国語を漢字で書くとしたらこう」あるいは「この外国語を漢語に直すとしたらこう」という書き手の意思を示しているところなんかは、こういうのが巡り巡って歴史を重ねて、今のラノベのルビとかになってったのかなあ、とか思ったりして面白かった。とりあえずそれくらいは面白がれた。残りの部分は……まあ……いずれ、理解が増やせたらいいな、ということで。

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