10/9 『いなくなれ、群青』を観た

面白かった。
冒頭から、不思議な違和感のつきまとう作品ではあった。違和感というか、何というか……このたとえが正しいかわからないが、アニメ映画で実写俳優が吹替してたときの違和感……をちょうどネガポジ反転させたような違和感。映っているのは実写物なのに、絵面やカットや台詞なんかがひじょうにアニメっぽいような、演劇っぽいような、ミュージックPVっぽいような。アニメ以外は詳しくも何ともないのでこの「っぽい」もどれほどのものなんだか怪しいが。
しかしそれも、物語の舞台設定が舞台設定だけに、そんくらい不思議なほうが逆に作品には合っていたのかもしれない。原作は未読なのに、描かれているシーンが原作ではこんな感じなんだろうなというのが思い浮かぶようであった(合っているかどうかは知らない)。
明かされた島の人々の真実。えーとつまりは『Angel Beats!』みたいなあれか?と最初は思ったが、別に彼らは未練を残して死んでいったわけではなくて、むしろ現実世界で生きていくためにオリジナルの彼らは彼らを捨てていったわけで、ある意味真逆だ。つまり、現実世界の彼らは、幸せであるのかもしれない。ヴァイオリンから逃げていた豊川さんは現実では恐怖を克服しているのかもしれない。ヴァイオリンごと捨ててしまっていたかもしれないが。委員長は……なんだろう、スケバンにでもなったのだろうか?
本来、たとえそうして諦めたり捨てたりしたものでも本人が心のどこかしらに取って置いたり大事にしまっておいたりするものだろうが、ここでは代わりに「魔女」がそれを守っていると。けれど真辺由宇は、彼女の善きこと、正しきことを推し進める心は、自分を捨てて階段を登った真辺由宇にノーを叩き付ける。叩き付けたい。それは奇しくも七草が言った、「不幸を選ぶ権利」であるのかもしれない。それを選んだ真辺由宇は、果たして己の生き方を曲げたのか。それが明らかになるとしたら、おそらくは原作シリーズの続巻でなんだろう。気になるのでちょっと読んでみたいと思った。
個人的には、真辺由宇の生き方は、その是非を論ずる以前にもう、それって疲れるし面倒臭いしタルいよなー、などと思えてしまい。僕らは大人になるたびに何かを捨てていくのだとしたら、それで身軽になれて階段を登れるのだとしても「何か」が抜けた穴は残り、しだいにそこには「怠惰」が積もって行くのかなあと思ったり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?