見出し画像

2/9 『柳生十兵衛死す 下』を読んだ

今更だけど表紙イラストは上巻が慶安の柳生十兵衛三厳で、下巻が室町の柳生十兵衛満厳だな。三厳は新陰流だから分身しており、満厳は陰流なので己の姿を陰としている。よく見れば、後ろにもそれぞれ清水寺と相国寺らしき背景が描かれていた。これは結局何だったんだろう……時を跳ぶ際に現れるが、他の者には見えないヴィジョン……スタンド的な何かか。山田風太郎、そんなとこも先駆していたのか。
などと考えながら下巻も読み進めていたけれど、時を越えて入れ替わった二人の十兵衛がどんな活躍を見せるのだろうと思っていたら、これが結構思ってたのとは違う活躍を見せていた。なんか、キャラ変わってる。肉体ごと入れ替わるのでなく互いの肉体に意識だけが入れ替わっている(その意味で、タイムトラベルではなくタイムリープと呼ぶべきか――『タイム・リープ あしたはきのう』の分類でいうところの)からと言って、そもそも二人の十兵衛どちらも似たような性格をしていたのに、それが入れ替わった途端、不穏な空気を漂わせてやることも大胆かつ魔的になっている。まるで……『魔界転生』の転生衆のよう。あの時は成そうとして成らなかった十兵衛の転生が、本作において術・かたちを変えて成し遂げられたかのようだ。いちど世界から切り離されてしまい、ある種の非現実感を得ると、いかな剣豪であっても誰しもこのような変質を遂げてしまうのだろうか。ならば、折に触れて使用される「魔界」という表現の意味も、やや変わってくる。世とのつながりを断ち切ってしまえば、そのような出来事を経てしまえば、場所や時代が変わらずともそこは「魔界」であるのかもしれない。
立ち合いシーンの、張り詰めた糸が切れるギリギリまでじりじりと引き絞られ、そして切れるときはぷつんとあっけなく切れるこの感じ、やや物足りないとも思うがそれが逆に味わいのようにも感じられてくる。戦いは始まった瞬間に勝負が決している……というのでもない。始まるまでは勝負は定まっていない、むしろ十兵衛なんかは立ち合う直前まで、そうなることを全然予期してなかったりする。愛弟子を相手にする慶安の十兵衛も、師を相手にする室町の十兵衛も。勝算もなく、どうしようどうしようみたいな感じなのに、それでも一たび太刀を抜き、振るってしまえば、勝負は決する……あれだけ時間軸をあっちこっちやっても、そこだけは決定的に不可逆という、そんな無常観というか。『魔界転生』を読んだときもそんな印象を覚えていた気がする。
そして少し悲しかったのは、二人の十兵衛が二人とも、最期は世界の全てから疎まれるようにして時の彼方に翔んでいったところだ。どちらも最初はその自由な振る舞いや在り様にみなから親しまれていたのに、どちらも最終的には敵味方すべてから拒絶されるようになってしまった。入れ替わり時の奔放ぶりを見れば無理ないことかもしれんが。あるいは、その為のあの魔的な振る舞いだったのか。十兵衛を斃す為には、世界の全てから孤立させ、その上で己の分身とも言える相手と立ち会わせるしかないと。それでも二人の十兵衛は二人とも、最後には自分の世界を守らんとして、目の前の己にやらせはすまいとして……まあ事態を混迷の極致に誘ったのは十兵衛のせいであるところも多分にあったけども……互いに立ち向かっていくあたり、ヒーロー性はくすむことなく最後まで輝き続けた。柳生十兵衛の最期、しかと目に焼き付けた。
といったところで、十兵衛三部作と言われるうちの最初の『柳生忍法帖』はまだ読めていないので、こちらもいずれ読んでみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?