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3/12 『水滸伝 一 曙光の章』を読んだ

初北方謙三にして、初水滸伝。いや、水滸伝の方は登場人物の名前くらいならいくらか耳にはしていた。北方謙三もまた名前だけならよく存じ上げていた。
よくよく記憶を辿ってみると水滸伝は確か小学生か中学生の頃に、全1冊のやさしい本を読んだ覚えがあるような気がする。伏魔殿から108つの星が飛んでったとか何とか。お話について全く覚えていないのは、その後ジャイアント・ロボを観て豪快に印象を上書きしてしまったからだろうか。あとはFGOとか、昔ジャンプでやってた水滸伝モチーフのマンガ……くらいの情報しか無い。
しかしそれらで断片的に認識していた登場人物たちの名前が、1巻目から早速ぞろぞろと出てくるのでその程度の情報にも親しみやすくする効果はあった。もちろん描かれる風貌やキャラクターなどは全然違うが、それだけでも初読の大地を踏みしめるよすがにはなる。ただ逆に言うと、1巻でもう知ってる名前がこんなに出揃ってしまうと、これ以降がむしろ不安になってきてしまうが。まあ文章が思ってたよりも平易で読みやすく、十二世紀の中国という馴染み薄い世界でもするっと入っていけた(直前に読んでたのが『ニューロマンサー』だったせいもあるかもしれない)ので、そこまで心配ではない。
お話としてはまだ雌伏の時で、仲間集めをえっちらおっちら行ってるような段階だから、たくさん出てくる人物のそれぞれのエピソード1が描かれ続けて盛り上がりは必然的に少ない。それでも林冲の苦難の道行きには引き込まれたから、ここからどんどん、幾筋もの流れが複雑に絡み合ったりまとまって大いにうねったりするんでしょう。もっともその雌伏の描写もこれはこれで結構面白い。なんというか、どことなく日曜劇場感がある……中年の男同士が、お上への不満をぶち上げながら、自分たちの夢や野望を飲みの席で語り合う、そんな雰囲気が。日曜劇場もそんな観てるわけじゃないけど。宋江と晁蓋、のちに梁山泊を作り上げる二大巨頭だと聞いてるからその語らいに時代の蠢動を感じて震えられるけど、それを知らなけりゃただのおっさん同士の駄弁り酒でしかない。しかしそうだとしても不思議と聞いていられる。それが北方謙三の筆のなせる業なのか、もしくは自分が世代的に近づいてきたから共感できてるだけなのか。なんにしろこれからの長い道のり、よろしく頼んますという気持ちだ。

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