12/4 『サイレント・トーキョー』を観た

面白かった。舞台挨拶のライブビューイング付き上映の回にたまたまタイミングよく入れたのでそれで観た。
その舞台挨拶で、あえて99分というやや短めな尺にして緊迫感やノンストップサスペンス感を出したと言っていたが、その意図は確かにすこぶる伝わった。事前にそれ聞いてなきゃ、ちょっと早いな!ってついてけなくなっちゃってたかもと思うくらい。
佐藤浩市が事件の犯人と目される男、として舞台挨拶じゃ紹介されてたが、意外とだいぶ後半まで目されないし、全体的にも画面に出ている時間はかなり少なかったと思う。最初にチラッと出てきて意味深なことをつぶやき、しかし以降中盤あたりには全然出てこない。けれど序盤の僅かな出番でしっかり存在感を刻みつけられているので、後半からの出番にもいきなり感がない。そういう意味じゃ、佐藤浩市の使い方がとても巧い作品だった。後から思い返すと、後半あの場にどういう道筋で辿り着いたのか、あまりに説明不足なんじゃないかと思っちゃうんだけど、勢いで押し切られた。
犯人の犯行の動機、動機にいたる経緯、そしてその末路はどう言い繕ったって勝手なものでしかない。最期に「もう一度信じてみてもいいんじゃないか」つったって、信じたその後を見ぬまま吹っ飛んでいるのであれば、それって信じたことになんのか?と思う。結局、犯人は己という爆弾を、いつか炸裂させる機会をずっと伺い続けていたのだろう。新首相のスピーチなどきっかけにすぎず、けれどきっかけとなる信号さえあれば炸裂まで一直線なのが爆弾なので。そしてそれに付き合った彼も、己の身勝手を全うしたにすぎないと思う。過去にできなかったこと、己を爆弾とした少女に寄り添うということを。そこに救いはなく、だからこそ消えてなくなるしかなかったのだろうか。

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