9/10 渡辺優『ラメルノエリキサ』を読んだ

面白かった。
復讐の申し子と呼ばれる女子高生が主人公。まあやべー奴が一人称の小説を読み出しちゃったなというのが第一印象。しかしたとえば仕事の昼休み中に読んだときなど、仕事に戻ると同僚が自分に余計な仕事を増やしたときに普段より少し早く、少し多めに怒りが沸いてくるような気にさせられる程度には、その語り口には感情を幅寄せされてしまう。
主人公の復讐へのモチベーションとその行動力は驚嘆すべきものではあるが、しかしそれが復讐という”後手”においてのみしか発揮されないというのはなかなか不思議だ。復讐期間中にないときの主人公は、クラスの間での人間関係に気を遣うような一面もあり、常にエゴを表出させてるわけでもない。自意識を歪めさせるような要因があったときのみに激しい反応を見せるが、それはいわばマイナスをゼロに戻そうという修正力で、ゼロから何かをどうしようという気はないらしい。唯一精力的に行っていることといえば音楽集めだが、それも再生するときにはシャッフル再生で聴く。「偶発」を重んじて、「自発」が見られないのが特徴だ(まあ俺もiPodで音楽聴くときはシャッフル再生で聴くので、その趣味には共感したんだけど)。なんというか、そんなんでいいのか、と思わずにはいられない。復讐するのはいいにしても、それだけだと君はゼロのまんまだぞ。まだ文学少女キャラの道を進もうとしている立川のほうが、前に進もうとしているという意味では力があるんだぞ。今回の事件だって結局のところ本人の性質とは関係のないまるで不条理な由縁から発生していたわけだし(正確には狙われた条件に関して因縁はあったわけだが、彼女の復讐癖に由来するものではなかった)、これからもそんな、無明の暗黒から来たるものをひたすら相手にし続けていく気なのか。
……でもそれで別にいいのかもな。若いし。若いうちは。「これからどうするか」なんてのは、歳食ったオッサンが考えるようなことなのかもしれない。自意識の歪みも、害された記憶も既に覚えきれないほど鬱積して精算しきれないような奴が考えるようなことなのかも。だがそれでも、最後に言われていた「害されている人間には星を眺めることはできない」というのには異論を唱えたい。歪んでいたって、星は眺められるでしょう。

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