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今更ですが Part2

こんにちは。
前回から始まった自己紹介のつもりが「自伝」の様になってしまった「今更ですが」が夜中に投稿したにも関わらず、翌朝見てみると「良いね」が6つ!しかも30人以上の方にご覧いただいていました💦
軽い気持ちで「興味あるかなぁ」って書いたことへの反響にちょっとびっくりしている「Studio di Felice」主宰の坂元です。

懲りずに前回に引き続き「自伝」になります。
宜しければお付き合いください。

1.2度目の専門学校

2度目の専門学校。
そこは大阪北、第4ビルにあった「伊東アパレルカレッジ専門学校」
私は、そこへ改めて入学致しました。
理由は、一つ目の専門学校の先生方が皆「伊東式」をされていたことで、何の躊躇いもなく「伊東式製図」をしっかりと身につけようという事から選びました。
ですが、あくまで「デザイナー志望」でデザインを支える土台としての「パタンメイキング」と言う位置付けでしたが、パターンを学び直すにつれ、その「魅力」にハマって行きました。

一つ目の専門学校でのパターンの理解度は決して高くなかったのですが、製図を学ぶのが2回目と言うこともあり他の同期入学の女の子たちよりも「伊東式」という分度器と洋裁コンパス、そして独特の伊東式の割出し尺を使う製図方式に慣れていたかも知れません。

2.初ファッションデザインコンテスト参加

入学して2年目の春。
私は学校の課題でもあった「ブルージーンズデザインコンテスト」に予選通過という連絡を学校経由で頂きました。

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そうです!あの毎年「ベストジーニスト」を選ばれてるコンテスト部門です。
本選は東京渋谷で行われ、当時のベストジーニストは男性部門は「真木蔵人」さん、女性部門は「浅野温子」さんでした。

が!その浅野温子さんが、コンテスト審査控室にいる私たちの所に「よっ!」ってやって来ました⤴︎
初めて会う芸能人が人気絶頂の「浅野温子」さんで、しかも、たまたま私が入り口近くに座っていたので私に「頑張ってね♪」なんて言われたもんだからも舞い上がっちゃったのってなんのって!

浅野温子さんはテレビで観るイメージよりも小柄でしたが、サラッサラのロングヘアーでテレビで見たまんまのとても爽やかで素敵な女性でした。

そして、ベストジーニスト発表の後のコンテスト部門の本審査!結果は佳作でしたが、テレビでもその模様が流され、これまた偶然私の発表の順番の時のシーンが流れていた様です(私は見れていません💦)

3.心境の変化

で!
このコンテストをきっかけに私はコンテストにのめり込む事になったのですが、心境の変化が、、、


「パターンの巧みさをデザインで表現してみたい!」


元々わたしのデザインのコンセプトは「シンプル」「シャープ」「ソフト」そして、「ファッション」ではなく「スタイル」としてのデザインをコンセプトにしていました。

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この一枚のイラストは私の1番のお気に入りです。
特に、横から見た時のシルエットに神経を使うと共に、女性らしさを1番表現出来る角度だと思っています。
トワルも先ず横から見たシルエットをチェックします。また、変わっているかも知れませんが、ドレイピングをする場合は脇パーツから始めます。

時折「デザイナーはパターンを知りすぎるとデザインができなる」という声を耳にするのですが、決してそんな事は無いと思います。まして、毎日仕事でパターンを引いているパタンナーですら一生掛けてもパターンを知りすぎることはそうそう出来る事ではないと思います。ねぇ、そうでしょ!

だけど、むしろ、パターンからアイデアが浮かぶことが、、、
少し格好つけた言い方ですが「パターンをデザインする」表現がピッタリです。

そして、そう思うようになってからはパターンの原理や規則性などを探るようになり、寝ても覚めてもパターンの事が頭から離れなくなり、見頃続きの袖で、二枚袖のように下袖を切り替えるデザインを思いつき、試作を何度も繰り返し、審美性と機能性を兼ねたデザインが出来上がったと喜んでいたら

「クロッシング・スリーブ」

という名の袖がすでに存在していたのを後で知って少しガッカリしたのを覚えています。
ですが、後にそのテクニックを使ったデザインでコンテストに応募してグランプリを頂きました。

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今見るととても荒削りなパターンですが、当時とある専門学校の校長から
「生徒にこれがデザインだっていうのを見せてやりたいから貸してもらえないか」と連絡を頂き、もちろんお貸ししましたが、大阪、名古屋、東京校と全ての姉妹校にこの洋服を持って講義に行かれたとの事。
そして、このコンテストで感動した事がありました。
このコンテストは一回めのショーが審査で、2回めで結果発表という二部構成でした。

その一回めの審査のショーが終わり、フィッターの方がハンガーに洋服をかける時にズレたままかけてしまい、衿元が折れ曲がるというアクシデントがあったようです。
2回目の発表のショーまでにアイロンが間に合わないと慌てていたところ、モデルさんがなんと、ガムテープで洋服の裏側とご自身の肌に直接張り付けて何事もなかったようにショーをこなしてくださり、私の洋服がグランプリとして紹介されました。

授賞式が終わると直ぐにフィッターの方が涙を浮かべながら走ってきて
「すみません、、、私の不注意で洋服に変な癖をつけてしまい、モデルさんがガムテープを体に貼り付けてショーをこなしてくれました、、、本当にすみませんでした」と今にも泣きそうに。

私は「わざとじゃ無いから気にしないで、お陰様でグランプリを頂けたんだし」と、伝えた後モデルさんのところにお礼と、肌が荒れていないかと心配になって伺ったら


モデルさんは
「私は一目でこの洋服が気に入ったの!今回どの洋服よりも1番素敵だと思ったの。他のモデルも素敵って言ってわ。だから、何としても良い状態でステージを歩きたかったの。グランプリを一緒に感じさせてもらってありがとう」と逆にお礼を言われました。
私は、モデルさんのプロ魂を直に感じたと共に私が誰のためでなく、自分の為に作った洋服を気に入って頂き、仕事とはいえ文字通り「身体を張って」洋服を着てくださった事がとても嬉しい出来事でした。

4.誰のために洋服を作る

私は、そのショーでの出来事があるまでは、漠然と洋服を作っていたようです。
洋服は人が着て初めて完成するんだ、洋服とオブジェを勘違いしちゃいけないとあのフィッターの子とモデルさんから気付かされたように思いました。

オートクチュールに憧れていたという事も有りデコラティブなデザインもしていましたが「着やすさ」や「着心地」がデザイン要素として重要視するようになり、デザインをする時に

「どんな気持ちで洋服を着るだろう?」

と言う当たり前といえば当たり前の視点で考えるようになりました。

今思えば、そう気が付いたのが早い時期だったのか、遅かったのかはわかりませんが、洋服に対する向かい方が変わった事には違い有りませんでした。





前回から始まった「今更ですが」シリーズまだまだ続く予感、、、

決して次のテーマの「衿」の時間稼ぎでは無いのです💦並行して準備はしていますよ、、、


なんだか、懐かしくも有り、振り返って改めて言葉にすると今の私のベースになっている部分の気づきもあるようです。

今回も最後までお読みくださりありがとうございます。
ネット環境が整い、SNSが日常的になった今、あの時のフィッターの方とモデルさんにこの記事が目に止まったら、いえ、止まらなかったとしても改めて

「ありがとう」

ってお礼を申し上げたいと思います。
あの日のがあって、今の私が有ります。ありがとう!



つづく、、、

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