見出し画像

ナミ編における実存主義と相互扶助

哲学者マルティン・ブーバーはこう言いました、「この世界は「我( I )とそれ( It )」という関係と「我( I )と汝( you )」という2つの関係で成り立っているんじゃね?」と。

「我とそれ」の関係は、対話的でない関係であり、他者を単なる対象や手段として扱う関係を指し、これは日常的な取引や目的のために他者を利用する傾向があり、非人格的な関係であって、そこには愛の絆は存在しません。効率的な利益上の関係はあっても、「それ」に対する「我」は愛の喜びも苦しみも感じることはないです。

一方、「我と汝」の関係は、相手を真に受け入れ、共感し、尊重する対話的な関係を指します。人々はお互いを「汝」として認識し、その存在を受け入れ、真摯な愛情をもって接することで、人々は互いに成長・発展し、本当の意味で豊かな関係を築くことができると考え、また、対話が愛の形態であるとも捉えました。

ワンピースのナミ編を見てみましょう。

物語の敵のボスであるアーロンと麦わらのルフィの思想は相対するように描かれています。

この章のボスである魚人族のアーロンは、ナミの測量士としての才能に目を付け、8年間も測量室に閉じ込めて、強制的に海図を描かせていました。

アーロンは持ち合わせた才能を無駄にすることを不幸で愚かだと考え、「ご飯や好きな服、なんでも買ってやるから才能を俺のために使え、だって俺たち仲間だし、それで十分幸せだよな?」みたいな思想を持っています。

ONE PIECE 11巻(第92話 "幸せ” )
ONE PIECE 11巻(第92話 "幸せ” )

これらのシーンから分かるように、アーロンとナミはマルティン・ブーバーで言うところの「我( I )とそれ( It )」の関係であり、アーロンにとってナミは「道具」であるような、一方的な関係性です。

ONE PIECE 11巻(第92話 "幸せ”)

ルフィは、このアーロンの「使う」というナミを道具として見ている発言に対して、とてつもない怒りを露にしています。

ルフィは、こんな感じで「我( I )とそれ( It )」の関係を嫌い、そんなものは「仲間」ではないと考えています。

ナミ編の話なんで、「ナミ編」に限定したかったんですけど、分かりやすかったんで別の章の場面で説明します。

ONE PIECE 40巻(第387話 "ギア” )

じゃあルフィはというと、仲間になんかして欲しいとか強くあって欲しいとか求めてなくて、ただ単に一緒に居て欲しいと思ってるだけなんですよね。(戦闘面ではなく、精神面など人間としての強さは必要としてる)

アーロンは海図を描かせるためにナミを仲間していましたが、ルフィは敵を斬るため、海図を描くため、料理をするため、ウソをつくために仲間にしてません。単に良いやつそうだから。

~ができるからみたいな”本質”的な理由ではなく、そいつが人としてどんなやつか、のようなその人の”存在”自体を見て選んでるんですよね。

仲間にしたいやつが、”たまたま”刀が使えたり、航海術持ってたり、料理出来たり、ウソつけたりしただけで、関係構築の際に、本質が先立ってないんです。

アーロン:本質→存在(能力持ってる→仲間に入れる)
ルフィ:存在→本質(仲間に入れる→能力持ってる)

こういう面を見るとルフィってすげぇ実存主義者っぽく感じませんか?

実存主義っていうのは、「人間は一般的な価値や意味があらかじめ与えられたものではなく、個々の人間が自らの選択と行動を通じて意味を創造していくものであり、自由意志を持ち、その自由を行使することによって自己を形成し、自己責任を負う存在である」という考え方なわけですが、
この実存主義的な考え方がルフィの発言から結構垣間見えるんすよね。
(特に初めの方は)

ONE PIECE 1巻(第2話 "その男”麦わらのルフィ”” )

別に最初から海賊王になるために生まれてきたわけじゃないけど、赤髪海賊団のシャンクスに出会ってから、海賊王になりたいと自分で決め、そしてその為なら全然死んでも良いと言うほど、自由の中で自己形成から自己責任までしっかりしてます。

まぁこんな感じでルフィは相手の存在を真に受け入れ、その主体性と独自性を尊重するような「我と汝」の関係で描かれています。

そして、哲学者ピョートル・クロポトキンはこう言いました。
ダーウィンによる「進化論」の「競争によってこそ生き延びるのだ」というのは少々間違いであり、「相互扶助し合った生物こそ、生き残り、子孫を繁栄させ、進化してきたのだ」と。

確かに、停電の際に多くの人々は犯罪に走るよりもむしろ、お互いに助け合ってその場をしのいだり(今は違うかも?)、地震の際に避難所で暴れる奴なんてそうそういないし、むしろ皆助け合っていたりすることの方が多い、というかそうしないと生きていけないですよね。

みなそれぞれの能力に応じて他人の必要に答えており、「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」あるいは「各人は能力に応じて働き、欲求に応じて消費する」を行っている。

簡単に言うと、「私にできないことをあなたがやる。あなたにできないことを私がやる」ってことですね。

ONE PIECE 43巻(第414話 "サンジ vs ジャブラ” )

お互いに必要な時は助け合い、その際にいちいちどれだけ私があなたに贈与し、あなたは私にどれだけ贈与したか計量しない。こういう互酬性の無い贈与の関係が生きてく中で必要というか、それなしでは生きていけないと唱えてます。

ルフィも”相互扶助”について語ってるシーンがあります。

ONE PIECE 10巻(第90話 "何ができる” )
ONE PIECE 10巻(第90話 "何ができる” )

ルフィは自分だけでは生きていけないと自覚しており、他人が自分のために何かしてくれた時には、一切の躊躇いなく「ありがとう」を言います。
自分が何でもかんでも出来ると思ってないし、出来る風にも見せず、そこらへんに関してプライドを持ってないんですよね。

剣術もないし、航海術も持ってないし、料理も作れないし、ウソもつけない。自分だけでは何もできないし、誰かに助けてもらわないと生きていけない。

ここで、「じゃあルフィ、お前は何ができるんだ」って
問いが出てきますよね?
その答えはこうです。

ONE PIECE 10巻(第90話 "何ができる” )

なんだこのアンサー、クソカッコいい。完璧すぎる。さすが最適解製造機。
このようにルフィは、ワンピースはクロポトキンが言うような”相互扶助の精神”に満ち満ちているんすよね。

本当はもっと語りたいんですけど、知識なさ過ぎて語れない。
あとで加筆しよう。

ナミ編見てない人はぜひ見てね、見た人の中でこの視点で見たことなかった人は、意識してもっかい見て欲しいです。

たぶんみんなの方が読み取る力はすごい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?