加藤和彦と安井かずみ

新宿方丈記・9「憧れ」

10代の頃から「垢抜けた」人や物が好きだった。地方都市の冴えない女子高生は、自分がひたすら垢抜けたかったのかもしれない。インターネットなんぞもちろんなく、テレビだって一家に一台の時代だ。情報源といえば雑誌かラジオ。もしくは誰かから伝え聞くもの。家か学校かバイト先くらいまでしか世界が広がっていなかった頃、そんな私が憧れ続けたのが、加藤和彦という人だった。当時(クレジットを見れば1985年11月)「ヴェネツィア」というアルバムが出た。ヴェネツィアを舞台に大人の愛の物語が展開する。愛の逃避行、失った人への思慕を抱きしめて一人生きる日々、カフェで思い起こす幸せだった日々…。そんなイメージがいくつも錯綜する。作詞は全て安井かずみ。ジャケットは金子國義。憧れずにいられようかというものだ。女子高生には当然おいそれと月に何枚もLP(!)を買えるほどの財力もなく、FMでオンエアされた何曲かを録音して、繰り返しカセットで聞いたものだった。大人になり、東京で暮らすようになって間も無く、新宿の紀伊国屋書店でやっと手に入れたCDをまた繰り返し聞いたのを思い出す。女子高生が好んで聞くようなアルバムではないし、周りで加藤和彦聞いてる人なんてほとんどゼロに近かったけれど、とにかく私の心にはがっしり引っかかったまま、外れなくなってしまったのだ。今でもまだ。

いちばんのお気に入りは「ハリーズBAR」で、この曲は私の人生で好きな曲のベスト3に間違いなく入る。ちなみにこの曲で初めて「ハリーズBAR」を知ったし、「ヘラルドトリビューン」もそうだ。それでなくても加藤和彦と安井かずみから教わったカルチャーのなんと多いこと。「エッグベネディクト」も「ベリーニ」も「ビスポーク」も。ずいぶんいろんな言葉を教わったし勉強した。こういう人たちが存在するんだ、本当に垢抜けた人って、こういう人のことを言うんだ。私の中でカッコいいカッコ悪いの基準や、本当の大人と偽物の大人の区別をするための物差しは、加藤和彦なのだ。おかげでものすごく厳しいジャッジになってしまうけれど。

お二人が亡くなった後に出版された本も片端から読んだ。まあ、ありがちな話だけれど、実はこうだったんです、みたいな話もたくさんあった。だけどそれだからってなんとも思わなかった。そんなの当たり前でしょ、生身の人間なんだから、って思っただけ。失望することも、ましてや嫌いになるなんて全くなく、今でもやっぱり憧れの人だ。だって本当の大人だから。だから「ふたりなら 何をしても 人生になる」って、こういうことなんだって。さらっと証明して、あっけなく去っていった。憧れはずっと、この先も憧れのまま。


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