何者かになれると信じていたけど
こんにちは、ももこです。
最近、訳もなくモヤモヤすることが多くて困っていました。
しかも決まってただ何もせずゴロゴロしている時間に。
なんだかモヤモヤして、どうしていいかわからなくて、SNSにぶつけそうになるのをグッと抑える。
そんな毎日が続いていたんです。
なぜ何もしていない時間にモヤモヤするのか。
よく考えたら、何もしていないからモヤモヤしているんですよねコレ。
何もしていないことに対してモヤモヤしている。
つまり、何かしたいことがあるんです。
じゃあ何をしたいのか。
遊びに行きたいとか、体を動かしたいとか、そういうのではなくて。
理想の自分に向けて何か動き出したいという意味合いが近いような気がしています。
つまり私は、理想の自分と現実の自分とのギャップに気づき、モヤモヤしていたわけです。
この場合解決策は2つ。
①理想の自分に近づくための努力をする
②現実の自分を受け入れる
もちろん①の方が人間的には成長するのかもしれません。
しかし私にとっては、②の選択肢がものすごく大切な気がする。
昔から私は「自分は何者かになれる」と信じてきました。
SNSを始めれば「インフルエンサーになれるかも」と期待を抱き、
ブログを始めれば「いつか本を出せるかも」と妄想を膨らませる。
もちろんそれは現実にできたことなのかもしれない。
でも、私に圧倒的に欠けていたのは「努力」でした。
努力もせず何者かになろうとしていたのです。
努力をしなくても何とかなるような、天才だとどこかで驕っていたのです。
そうでないと気づいたのは20代後半になってから。
社会に揉まれ、自分が何者でもないことに気が付き、呆然としました。
自分が何者かになるには「努力」が必要なのだという、当たり前の事実を目の当たりにしてしまったのです。
私は今もその現実に気づきながらも、目をそらして生きている。
努力をするでもなく、かといって何者にもならずに生きていくことに納得もせず。
ただその狭間に立って、鏡を見ないように生きている。
その決着を今こそつけるべきなのかもしれない。
何者かになるための努力をするのか、ありのままの何者でもない自分を認めて生きていくのか。
まずは理想の自分をたくさん思い描いてみよう。
そこに近づくためにどの程度努力が必要なのかを、考えてみよう。
そうしたらきっと、やるべきことが見えてくる。
もしその中に「無理かも…」と思うことがあれば、その時はそんな自分を認めてあげたい。
すべて理想通りじゃなくていいから。
できない自分も含めて、「新たな理想像」を作り上げていく必要があるから。
そう気づけた、何でもない火曜日でした。
おやすみなさい。
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