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このnoteは私の”曲がった釘”である

こんにちは。くぎと申します。
このnoteには私の中にもこもこと雲のようにわき出てくる想いやアイディアを言葉にして記録しようと思います。

私は、自分の想いや好きなものを人に伝えるのを諦めている節があります。きっと理解してもらえないと思っているから。

私の好きなものを相手も好きだと思ってもらえるかなんてわからない。素敵だと感じてもみんなが素敵だなんて感じるわけじゃない。
それどころか、それの何に惹かれているかすら理解してもらえず、最悪の場合はバカにされてしまうのだ。

だったら、もういい。私は誰にも言わない。どうせわかってもらえないから。私は周りに理解してもらうことを諦め、せっせと自分が好きなものをこっそりと集めている。

理解してもらうことを諦めているわりに、Twitterとかで好きなものが同じ人たちと楽しそうに交流している様子を見かけると羨ましいのだ。

誰かと交流すると、意識的にも無意識的にもその人に合わせてしまう。好きなものへの純度が100%から90%、80%と薄れてしまいそうで、それが嫌でやっぱり交流を避けてしまう。

でも、自分の中だけにとどめておくのも苦しくなってきた。


私が大好きな映画に「インスタント沼」という素敵な作品がある。麻生久美子という大好きな俳優が主演である。

主人公は、昔から大切にしているものがある。それは”曲がった釘”だ。一見何の変哲もないただの釘である。というか、本当にただの釘である。しかし、その釘の曲がり具合、さびた具合が主人公にはなんとも魅力的に感じるのである。
主人公はその釘を大切に持っているが、周りに共感してもらおうとは思わない。共感してもらわなくても平気である。それは、広い世界のどこかでこの釘の魅力がわかってくれる人がいると信じているからだ。

みんなに理解してもらえなくても、世界のたった一人に理解してもらえればいいのだ。

作品の中では”曲がった釘”に魅力を感じる人は現れるのだが、その人と釘の良さを分かちあうわけではない。そこにロマンスも友情も生まれない。「あ。いるな」と同志の存在を確認するだけだ。

それが、いい。


このnoteは、私の”曲がった釘”である。


多くの人からは理解してもらえないかもしれないが、必ず同志がいると信じて。


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